「これは私のものです」から争いが始まる

肉体をもらった宇宙エネルギーは
私、あなた、〇〇ちゃん、
と、すべての物や人が
バラバラに存在しています。
日本という国があって、
アメリカという国があって、
存在するすべての物は
誰の物か決まっているのです。

タイのバンコク

この世界は幻想である、
という考え方は
正しいかもしれません。
本当の世界では、
誰かが何かを
所有している、
という感覚が
ないんじゃないですかね?

人間が死んだら、
肉体を失い、
持っていたすべての存在、
つまり、
家、土地、車、友達など、
自分が関与していた人や物と
決別します。
死後の世界では、
自分という意識は、
すべての意識の中に
取り込まれて、
どこからどこまでが
自分なのか、
識別できなくなるような
気がします。

亡くなった家族や友達の意識は
どこにいるんだろう?
と考える時、
今ここにも、
家の中にも、
食べ物の中にも、
身につける衣類の中にも、
どこにでも存在するのだ
と思います。

亡くなった人と
おしゃべりしたいな、
と思ったら、
普通に、
隣とか、横とかに
向かって話しかければ、
肉体のない故人が
そこにいて、
ちゃんと私たちの話を
聞いてくれているの
ではないでしょうか?

平和な日本という国にいると、
同じ地球上とは思えないような
戦争が起こっています。

この世界は、
そういうところなんです。
私の、私の、私の、
私の大切な領土、
という考え方があって、
力づくで相手の領土を
取ってやろうとするところから、
戦争が起こるわけです。

戦争国際法という法律が
あること自体が、
この世界は平和ではない、
ということを物語っています。

私たちが肉体をもって、
物質に囲まれて生きている限り、
自分と他人という境界線は
なくなりません。

本当の世界に戻った時、
人は、この地球での世界が
すべて幻想だったと
気づくのかもしれません。

じゃあ、何のために
私たちはこの世界に
生まれてきたのでしょう?
修行するためでも、
魂を磨くためでも、
カルマを解消するためでもなく、
ただそこに
存在しているだけ
かもしれません。

宇宙の法則を
神と呼べるのであれば、
地球に姿を現した私たちは、
神様を思い出すために、
この世界に
姿を現したのかもしれません。

 

 

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