憎しみで身を亡ぼす前に読むブログ

こんにちは!
辛い思い出が心の中に沈殿していて、
何かの折に思い出しては苦しむ。
なかなか忘れられない。
心が憎しみでいっぱいになる。
そういう人は少なからずいると思います。
どうしたら楽になるのでしょう。
ノンデュアリティーが
私達にメッセージを送っています。

あなたという人間は二人存在している

 体の一部をつねってみると痛いですよね。痛がっている自分と痛がっている自分を見ている自分がいるのです。もう少し話を進めると、痛がっている自分は幻想の中の自分で、痛がっているのを見ている自分が永遠に滅びることのない本当の自分です。だから、あなたが抱えている問題は本当は存在しないのです。あなた自身が幻想なんですから。
 私がインターネットの悩み事相談の中で見つけた人は、今まで自分を酷い目に遭わせてきた人を忘れるために楽しいことに集中したり、感情を爆発させて大泣きしたりしたそうです。例えばゲームなどをして気を紛らわせたりしても、楽しんでいる時だけは憎しみのスイッチが一時的に切れているだけで、根本的な解決にはなりません。大泣きをするというのも、憎しみの感情が大泣きをするという行動に変わっただけです。一時的にスッキリするためにはとても優れたやり方だと思います。自分の命にかかわるほど酷いことをされたのであれば、その行為者への憎しみを完全に消す事は出来ないかもしれません。しかし、少しだけ憎しみの感情を薄めることができるとしたら、また、少しだけこの生きづらい世の中を生き易くするためには、ノンデュアリティーのメッセージを思い出すのは非常に意味深いことのような気がしています。ところが、突然、あなたはただの幻想であって存在していない、などと言われても、誰も信じないでしょう。このブログを書いている私は、気が振れていると思われるだけだと思います。でも、自分がイリュージョンの世界の存在であることがほんの少しでも分かったら楽になるんです。すべては自動操縦されていて、起こっていることは誰のせいでもないのです。私は今、こうやってブログを書いていますが、実際には私が書いているのではなく、ただ「ブログを書く」という行為が起こっているだけなんです。すべての苦しみは、「自分」という人間に起こった、と考えるところから発生します。誰もあなたを苦しめた人はいないし、これからも、誰もあなたを苦しめません。ただあなたが苦しいと思うようなことが、起こった、または、起こるだけです。どうしてそんなことが起こるのか誰にも分かりません。じゃあ、何の解決にもならないじゃないか、と怒られそうですが、ノンデュアリティーが少しだけでも分かれば、分かっていない人よりも生き易くなることは確かです。苦しんでいる自分を見ている自分を意識してみてください。というよりも、苦しんでいる自分から離れて自分を見つめる、といったほうが分かりやすいでしょうか。もう一人の自分は、言葉では表現しきれないほど微妙な存在ですが、なんでも知っているのです。生身のあなたがタダの幻想であることも全部知っています。生身の自分は本当は存在していない、ということを少しでも分かりやすくするために、私の経験を話します。ある日のこと、車を運転して帰宅しました。全部で約30分くらいかかる道のりです。途中から車を運転している私がいなくなって、もう一人の私が車の中から空の星や車の横をながれていく並木をぼーっと見ていました。私がいないのに、車はどんどん家に近づいていって自宅に到着しました。車から降りる時、いなくなっていた私が戻ってきて、無事に帰ったんだな、と思いました。特に危険な目に遭うことはありませんでした。後ろからクラクションを鳴らされることもなければ、大声で怒鳴られることもなく無事でした。子どものころも、同じような経験をしたことがあります。数時間くらい自分がいなくなるのです。どういう時にそのような現象が起きるのかは不明です。子どもの頃から、何かを見ている自分のことを本当に自分なのかどうか確かめたい、と考え続けていました。その答えがノンデュアリティーにあったように思います。
 もう一人の自分は燦然と輝く素晴らしい世界に生きる住人です。そこは時間も空間もなく、どんな不和も争いもない平和で静謐な世界です。その世界をほんの少しでも垣間見ることができたら、今抱えている憎しみや惨めさはチリのようなものでしょう。その世界の住人であるもう一人の自分の目ですべてを見ることができたら、どんなに楽でしょう。

もっと気楽に生きたい

 悪い夢を見て目覚めた時、私達は夢で良かったと思います。ノンデュアリティーのメッセージはそれに似ているのかもしれません。『すでに目覚めている』の著者であるネイサン・ギルは、人生は最大の娯楽であると言っています。まるで映画でも観ているように気楽に人生を楽しめたらどんなに楽でしょう。
 人間は遺伝子に組み込まれたようにしか行動出来ないと言われています。数字が大嫌いな人は理数系の大学には行かないでしょう。ひねくれたイヤな性格も遺伝子のせいであると、私は断言はできませんが、そのような人はそのような役柄を演じているキャラクターに過ぎないのです。育った環境や親の影響も関係していて、その影響を受けてイヤな性格になるようにも思えます。でも、その人がそのような環境でそのような親に育てられるという台本を「何か」からもらって生まれてきているようです。この「何か」を神と呼んでもいいし、宇宙のエネルギーと呼んでもいいと思います。あなたに冷たく当たった人が、ただ与えられた台本に忠実に、というか、遺伝子通りに、行動しているとしたら、あなたはその人を憎むどころか、哀れみの目で見ることができないでしょうか? 人に不快感を与えているその人にも、もう一人のその人がいて、遺伝子通りに行動しているその人を見ているのです。そんなことを言ったら、人に迷惑をかける人は、全部遺伝子のせいで片づけられて、何の進歩もないじゃないか、と言われそうです。けっしてそんなことはありません。人間は、今よりよい環境に移行できるために努力するようにプログラムされていますから、人に迷惑をかけたり不愉快な思いをさせる人と、まじめに生きている人の間で争いも起きるし反省や改善も起こってきます。それはごく自然なことです。どうして宇宙のエネルギーはこんな無駄なことをするのかは不明です。もしかしたら、起こっているすべての現象は真実の世界が存在するのだということに気付かせるために起こっているのかもしれません。でも、悟りを得ようと思えば思うほど、悟りは遠ざかる。なんというパラドックスなんでしょう! 映画を観ていると、つい映像に引き込まれて、自分が主人公になったような気がするときがありませんか? そんな時、映画館の中の誰かがポップコーンの袋をガサガサ鳴らしたりしたら、ふいに自分を取り戻すことがあるでしょう。私が子供の頃は、怖い映画を観ている時、のめり込みそうになったら、画面以外の部分に目をやって、これはただの物語なんだ、と思って「大丈夫」などと自分で自分に言い聞かせていました。目覚める、とか、悟る、というのは、そういうことなのかもしれません。
 すべては宇宙エネルギーが創作した壮大なストーリーであるということがほんのちょっとだけでも分かったら、誰かを憎む心が少し緩むような気がします。この世界の現象も人の心も常に変化します。すぐに変わってしまう世界は幻想にすぎません。私達はすでに永遠に変わらない世界の住人であることに気付く時代にさしかかっているような気がします。

ノンデュアリティー関連の書物

『オープン・シークレット』BYトニー・パーソンズ
『つかめないもの』BY ジョーン・トリフソン
『ホームには誰もいない』BY ヤン・ケルスショット
『誰がかまうもんか』 BY ブレイン・バルドー
『すでに愛の中にある』BY 大和田菜穂
『ただそのままでいるための超簡約指南』BY J・ジェニファー・マシューズ
『bing : the bottom line』BY Nathan Gill
『すでに目覚めている』BY ネイサン・ギル

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