私は私に操られているただのキャラ

私が子供だった頃、
オンラインゲームなんかなくて、
輪ゴムをながーく繋いで
ゴム跳びをしたり、
ジャンケンをして、
チヨコレート、
なんかしていました。
若い人には分からないでしょうね。

今は、パソコンや
テレビの画面を使って
世界中の人と
ゲームが楽しめるように
なりました。

ゲームにストーリー性を
持たせて、
キャラクターも
オリジナルな容姿を
作れるなんて
すごい時代ですね。

辛い時は、
自分はゲームの中の
キャラのようなもので、
自分を操っている
もう一人の自分が
いることを
思い出してください。

本当に私たちは
ゲームのキャラみたいな
ものかもしれませんよ。

ある研究によると、
地面に落ちたハンカチを
拾う時、
「落ちゃった。拾いましょ」
と思う前に
すでに体が
拾う体制をとっている、
らしいです。

つまり、
自分の意思ではなく、
ハンカチを拾う、
という脚本通りに
私たちは動いている、
ということです。

死後の世界について、
YouTubeで
面白い内容の
ものがありました。
臨死体験では、
あそこに行きたい、
と思うだけで
瞬間的にその場所に行ける、
という内容でした。

私たちの人生は、
すでに完成済の絵
みたいなもので、
私たちは
その絵を
楽しんでいるだけ
なのかもしれません。

そう思え!
って言われても、
現実問題、私たちは、
リアルに生きているので、
ゲーム内のただのキャラ
だと思うのは無理です。

しかし、
ほんの一瞬だけ、
自分の周りに
存在するものが、
やけに納得できる
存在のように見える
時があります。
うまく言葉で表せないけど、
カーテンもタンスも床も
やけにキラキラして
見えたりします。

ゲームの中のキャラには
ゲームを展開させる力は
ありません。
ゲームのコントローラーを
握っているもう一人の
自分が全てを
握っているのです。

そうだと確信することは
できませんが、
そのような考え方をすると、
ほんの少しだけ、
気分が楽になりませんか?

「しゃーないなぁ、
そうなってんねんから」
って感じ。

 

 

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