何かを失えば、何かが与えられる

一生のうちで
私たちが所有してもいい物の量は
決まっているんじゃないですかね?
お金でも家でも車でも、
なんでもいいのですが、
失う度に、
次に与えられるものの分量が
決まっているような気がします。

私たちは
いろんなものを失いながら、
人生航路を歩みます。
歳を取って若さを失い、
今まで楽しんできたことを失い、
体の機能を一つまた一つ、
と失っていきます。
そして、
最後に命を失うのです。

寿命は、
生まれた時から決まっていて、
長生きしたいと願っても、
寿命をお金で
買うことはできません。

しかし、
命がある限り、
天寿をまっとうするまで、
生きるのに必要なものは
与えられるようになって
いるんじゃないですかね?
そんな気がします。

誰でも分かる簡単な例を
あげてみます。
お金を払って何かを買うと、
お金の代わりに
欲しかったものが
与えられるでしょう。

神様にしか見えない貸借対照表は
完璧で宇宙の法則に則っており、
マイナスの出来事が、
同程度のプラスになって
戻ってくるということです。

このマイナスとプラスは
人間の目から見ると、
とんでもなく損に見えたり、
桁外れに大きな利益に
見えたりします。

すべては寸分も違わずに、
完璧な計算で成り立っています。

もう少し込み入った例をあげると、
離婚したというダメージの
代わりに一生ものの資格を
ゲットしたりします。

離婚によって、
生活が困窮するように
思いますが、
その代わりに
生活に困らないものが
与えられるように
なっているわけです。

この法則自体を
神様と呼んでもいいでしょう。

必要な時に必要なものが与えられ、
必要なものが役に立たなくなったら、
もっと役に立つものが
与えられるようになっています。

この際、
自分のコンテンツを格納する容器は
人によって違うのかもしれません。

自分の容器に入りきらなければ、
どれかを失うことになります。

だから
大丈夫です。
何かを失ったら、
失ったものに相応する何かが
与えられますから、
いつも大丈夫なわけです。

これって本当ですよ。
私の人生は波瀾万丈で、
溺れそうになる度に
いつも浮袋が与えられてきました。

 

 

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