自分が選んだ道は全て正しい、という矛盾

ノンデュアリティーの
考え方によると、
私たちは与えられた
人生脚本の通りに
行動しているので、
選択した道は
起こるべくして起こった、
と言うことになります。

この考え方でいくと、
戦争も、
大怪我をする喧嘩も、
人生脚本に書かれていて、
受け入れなければならない
経験の一コマ、
ということになります。

戦争なんて
おろかな人間のやる事だ、
と思う人がほとんどでしょう。

しかし、
起こってしまった現実は
自分の力では
どうにもならないことであり、
私たちはそういう人生脚本を
もらって生まれてきたのです。
私たちが戦争や殺人を
選んだのではない。

こう考えると、
少し気が楽になります。
しかし、
起こった悲惨な出来事であれ、

病気や怪我であれ、
なんでも、
宇宙の法則、あるいは、神から
発生したものだ、
と考えると、
やりきれない気持ちもします。

神の命令で殺人を行った、
などという人は
頭がイカれている、
と思いますよね?
神は善であり、
幸せをもたらすものであり、
悪から私たちを
救ってくれる、
というイメージが
太古の昔から
私たちの頭の中で
定義つけられている。

だから、
ノンデュアリティーの中では
神は存在しないもので、
存在する唯一のものは、
宇宙エネルギーのみ!
という考え方になる。
このエネルギーを
神と呼んでもいいと思う。

つまり、
神は悪でもあり、善でもある。
これを理解するのは
私たち人間には無理だと思う。

ノンデュアリティーでは
死んだ時、
すべてを失い、
すべてを与えられる、
ということになる。
人間は最後に肉体を失って
空気になり、
雲になり、
あるいは大地になり、
植物や生物になる。

あなたは性格が悪いですね、
と言われても、
その性格と一緒に
生きなければならない。
あなた、あるいは、私は、
そんなヤツなんですよ。

何かを大幅に
変化させるなんて無理でしょ?

でもね、
人生脚本が
どんなふうに展開するのか、
今しばらく、
俯瞰して見ていましょう。

このノンデュアリティーの考え方は
切羽詰まった時に、
意外と救いになる。

 

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