やめたいのにやめられない悪習慣

体に悪い、
とか、
お金がかかる、
という理由で
やめたいのに
やめられないのは
なぜでしょうか?

ついやってしまう悪習慣は、
やめようと思っても、
なかなかやめられません。
酒、タバコ、ギャンブル、など、
絶対にやめる、
と心に誓っても、
やめられないのは
なんで?

それはそのように
なっているからです。
はっ?
何のことか
分かりませんよね。
「なっている」
だなんて、
どういうこと???

その習慣はもうやめろ、
というお知らせが
届いてないから
やめられないのです。

それって
誰からのお知らせ?
という疑問が湧き上がる
と思います。
私にも、
誰からのお知らせなのか
分かりません。

でも、
その「誰か」というのが
神かもしれませんし、
宇宙の法則かもしれません。

やめたいことが
やめられない時は、
そのままやっちゃって
OKです。
それが犯罪なら
話は別ですよ。
いや、
話は別じゃなくて、
犯罪も当てはまる
かもしれません。
犯罪を犯しそうな人は、
しかるべきところに
相談に行ってください。

やめられない時は
やめられません。
逆に、
スッと、
簡単にやめられる時が
きっとくると思います。
あなたが、やめたい、
と思っているからです。

時期が来ないと、
何事も成就できない、
というのは
分かるような気がします。
やめ時も、
時期があるような
気がしています。

私も、
やめたら
基地外になる、
と思っていたことを、
簡単にやめることが
できた経験があります。

ノンデュアリティーの
考え方でいくと、
人間界では、
自分でコントロール
できるものは
何一つない、
と言われています。

なんだ、
つまんない世界だな、
と言われそうですね。

でも、
かなり苦しい経験を
した人や罪の意識に
苛まれている人にとっては、
楽になる考え方です。

すべては
あってないようなもので、
自分で判断したように思えても、
実際には
自分は何の決断もしておらず、
この世界は、
虚像に過ぎない、
私もあなたも
本当は存在してないのです。

しかし、
私たちは
五感を使って、
見たり聞いたりしているので、
この世界が虚族だなんて、
思えませんよね。

森の中で、
一本の木が倒れる時、
大きな音がします。
でも、
誰もいない森の中で、
木が倒れる音がするのか、
という疑問を投げかけられたら、
そりゃー、音は出るでしょ、
と誰もが言うでしょう。

本当のところは、
誰も聞いてないから、
音はしないんじゃないですかね?

すべては、
すでに書いてある小説の
一部で、
私たちは
その小説を
読んでいるだけ、
と思えたら、
どんなに楽でしょう。

やめられないのが
当たり前です。
だって、
そうなっているからです。

 

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