苦しみを消すことはできないけど、生き易くすることはできる

このところずっと、
似たようなタイトルの記事を見かける。
「好きなことだけをして生きる」
「嫌なことは断捨離する」
「環境や周囲の人を利用して生きる」
などなど、いかにも生きることが簡単であるような表現が多い。
「生きる」ということは大変なことです。
誰もが楽をして生きることは素晴らしい、
と勘違いしているのかもしれない。

 お釈迦様が生老病死とおっしゃっているように、「生きる」ことは大変なことです。逆にいうと、「今、ここに生きている」ということ自体が何事にも替え難く素晴らしいことだと思います。生命を維持するのに必要なものは、何もしなくても自然に与えられる、などと基地外じみた宗教に入るのはやめた方がいい。誰もが明日を生きるために尊いエネルギーを使ってお金を稼ぎ、雨露しのげる屋根の下に住み、食べるものを確保して生きているのです。
 私たちは、陰と陽の両極を生きているのであって、その一方だけでは生きていけません。最終的には陰と陽は同じものであって、陰は陽になりうるし、陽も陰になりうる。ストレスフリーの生活をしたい、と言う人がいたとします。一生涯遊んで暮らせるお金があって、体も健康で、豪邸に住んいて、お友達もいっぱいいるので、全くのストレスフリーです。私はこのような経験をしたことがないので、リアルなことは書けませんが、読んだ本によると、何もかも手に入れてしまった後に、ある実業家の男性は、さらなる欲望を求めて、お酒におぼれて体調を崩したという話を聞いたことがあります。もしかしたら、うまくいっている人というのは、陰と陽の両方をバランスよく持っている人ではないですかね。人間は嫌なことばかりあったら死にたくなるし、良いことばかりあるのに満足しないのです。すべては同じものから発生しているというノンデュアリティーの考え方によると、人類は一人ひとりが完璧なプログラムに乗っ取って生きていると言われています。男運の悪い人は、体調がよくない人、仕事が長続きしない金欠気味の人、浮気する人、を好きになるようにプログラムされているらしい。私たちは、与えられた台本通りに役柄を演じているだけで、着物の柄を隅々まで一つ残らず見ているようなものです。きものに気に入らない柄があったとしても、「この葉っぱの柄は気に入らないわ」と思って、どんどん違う柄に目を移していきます。そんな感じで起こった現象をただの模様くらいに思って、通りすがりの人みたいに「あ~、こんな人もいるんだぁ」と思って生活することができたら楽でしょうね。生身の人間はそう簡単に、苦しみを乗りこえられないとは思いますが、最近私はそれができるようになったような気がします。悲しいことが起こったら、悲しみを味わい、嬉しいことが起こったら、思いっきり喜び、ガ~ンときても、その現象はすぐに雲のように消えていく空みたいなものだと考えるようにしています。今、現に苦しんでいる人は、そんな人間離れしたことはできないよ、と言うでしょう。しかし、この世に生きている限り、苦しみから逃れることはできません。同じ苦しみでも乗り越えやすい苦しみのほうがいいでしょう。
 映画を鑑賞中、刺激的なシーンを見ていると、つい手に汗をかいたり、力が入ったりしますよね。それは、あなたが映画の中に入り込んでいるからです。スクリーンからちょっと目を離してみると、映画館の中にいる自分に気付きます。夢も似たようなところがあって、目が覚めたら、あ~、夢で良かった、と思う時があるでしょう。ノンデュアリティーによると、現実のこの世界は、幻想を見ているようなものらしいのです。それを実感することができる人はいないと思いますが、本当にそうだとしたら、もっと気楽に生きられると思いませんか? だってただの夢なんですから。

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ノンデュアリティーに関する本

『オープン・シークレット』BYトニー・パーソンズ
『つかめないもの』BY ジョーン・トリフソン
『ホームには誰もいない』BY ヤン・ケルスショット
『誰がかまうもんか』 BY ブレイン・バルドー
『すでに愛の中にある』BY 大和田菜穂
『ただそのままでいるための超簡約指南』BY J・ジェニファー・マシューズ
『bing : the bottom line』BY Nathan Gill
『すでに目覚めている』BY ネイサン・ギル

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