『天命』 BY 五木寛之

みなさまは、どこかの宗教団体に所属していますか?
私はどこにも所属していません。
聖書を読むことがありますが、
小説のネタにしたり、
楽しむために読んでいます。
どうして人は宗教を必要とするのでしょうか。

世界は素晴らしいと感じるために

 五木氏によると、人間の世界というものが、素晴らしいものだというふうに感じるためには、私たちの認識は目に「見えるもの」と「見えないもの」という二重の構造を見極めなければならないでしょう、と述べています。
 私たちが暮らすこの世界は、不平等と理不尽で満ち溢れています。好むと好まざるに関わらず、次から次へと困った事態がやってきて、悩み苦しむのがこの世の常です。その苦しみを少し和らげてくれるのが宗教かもしれません。目に見えるものはすべて現象でしかなく、実体がないと、お釈迦様は言っています。仏教的にいうと、目には見えないけど、極楽浄土のような素晴らしい世界があるのだと、考えずには人間は生きていけないのです。さらに、五木氏は、人間というのは放っておくと途方もなく無制限に暴走するもので、人間を暴走させないブレーキとなるものが、宗教のことばではないか、と述べています。確かに、欲しかったものが手に入っても、次から次へと欲しい物が頭に浮かんでくるのが人間です。資本主義の社会では、人間のそういう欲望を利用して、次から次へと新製品を作って消費者が買わざるを得ない状況を作り出しているように思います。先日、アイパッドの画面を保護しているガラスのシートにヒビが入って新しいものを買いに行きました。アイパッドの型が古いため、それを売っているお店を探すだけで疲れてしまいました。物の寿命がどんどん短くなっています。どんなに良いものを手に入れても、どんなに良い地位をゲットしても、この人間界では満足することはありません。どうやったら幸せになれるのか、私たちの探求は尽きません。
 悲しみや苦しみのただなかにいても、日本人の心の底にはアニミズムが息づいていて、すべてのものに神聖さを感じずにはいられない独特の感覚が織り込まれているような気がします。つねに新しいものを身につけていなければ気が済まないアメリカ人的考えよりも、21世紀は古き良きものを大切にする精神がいろんな可能性を発揮するかもしれません。

人生最後の幕引きが大切

 幸福な人生とはどういう人生なんでしょう。世界は今、コロナ渦にあって自由を奪われています。何かがリセットされているような気がします。それは、ある人にとっては考え方の転換であったり、転職であったり、今まで大事にしてきたものとの別れであったりします。
 五木氏によると、天とは、天地自然万物の存在のすべてをつらぬくエネルギーであり、目に見えない意思のようなものだと感じている、と述べています。ノンデュアリティーの考え方に似ています。人間は社会的な存在なので孤独を嫌います。そうは言っても、他人は自分ではないので、人生のかじ取りにおいて、頼りになるのは自分しかいません。そんな時、万物を貫くエネルギーと自分がつながっていると感じる時、少しだけ安心できるような気がします。私たちは、痛みや苦しみの中で絶望しながら、それでも生きるエネルギーをゲットできるのなら、宗教も人生の支えになるかもしれません。しかし、お金儲けに走っている宗教は気を付けるべきでしょう。以前、本来の、というか、本物の聖書の内容を書き換えている宗教団体がありました。ある農家が豊作だったので、できた野菜や穀物の20%を奉納するように神様が言った、と書いてありました。その部分の聖書の言葉を見せて、その宗教団体は信者から、お給料の20%を出させていました。20万円のお給料なら4万円の奉納になりますよね。そんなバカな神様はいません(笑)。本物の聖書には、農民自身が豊作だったから、20%を神様に奉納しよう、と決めたわけです。神様が「2割を奉納しなさい」と言ったのではありません。
 私たちは他の生き物の命を奪って自分の生命を維持しています。悪いことをした人なのに、最後まで何の咎めも受けずに幸せな人生を送ったりします。どうしたら、地獄のような世界で、少しだけでも快適に生きていけるのでしょうか。人の悲しみや苦しみに寄り添い、人間とはこういうものだ、と優しく語り掛けてくれるこの本は、この世での生き易い道を少しだけ示してくれるかもしれません。

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