子供を殴ってストレス解消した母親の末路

親による子共の虐待がニュースになることがあります。
あれは氷山の一角で、
実際にはもっとたくさんあるのではないでしょうか。
幼い子供にとって親は最も信頼できるはずの存在です。
しつけのために殴った、と言い訳をする親がいますが、
殴ることをしつけの一環にしているところが、
もうすでに終わってますね。

孤独になったある母親の手記

 私は娘との確執に悩んでいます。娘も息子も結婚してよい伴侶に恵まれ、独立して幸せに暮らしています。私は70歳です。五年前に夫が他界してからは一人で一戸建ての家で暮らしています。娘がまだ幼かったころ、私は娘をよく叩いていました。叩く蹴るして、髪の毛を掴んで部屋中を引きずり回したりしていました。今考えるとあれは虐待だったと思います。娘が中学生になる前まで虐待していました。今、娘は40歳になっていますが、幼いころの私の虐待を覚えていて、トラウマのようになっています。娘に電話すると、虐待を受けたことを何度も言い、いまだに私を責めてきます。息子に相談すると、忙しいからとか言って、全く相手にして貰えません。私は息子には手をあげたことはありません。息子のお嫁さんは相当きつい性格で、とても一緒に住む気にはなりません。私ももう70歳ですし、娘夫婦のところで面倒を看てもらおうと思っていますが、こんな状態では話し合いもできず、私はどうしたらいいのか分かりません。娘は私と縁を切りたいと言っています。電話をかけるたびに、さよなら、と言って電話を切ります。何かよい方法があったら教えてください。年寄りの一人暮らしはとても寂しいです。毎日一人で泣きながら暮らしています。

悲劇のヒロインを演じる人

 自分が周囲の人にかなりの迷惑をかけたにも関わらず、世界で一番可哀そうな人を演じたがる人がいます。普通は、幼い子供にとって母親や父親は自分を守ってくれる大切な存在です。娘さんは中学生になる前まで母親に殴られていたなんて、どんなに孤独で寂しかったことでしょう。母親が犯したミスは生きている間ずっと尾を引くと思います。子どもを叩いたり蹴ったり殴ったりして教育とか躾とかはできません。相談内容を見ると、私の面倒を看てもらいたいのに、娘も息子も知らんぷりしていて、私はなんて可愛そうな人なんでしょう。私を助けてください、と聞こえてきます。息子さんには手を挙げていないと言いますが、娘が虐待されるところを見て育ったわけです。母親は、虐待をしていた時の娘さんの寂しさや恐怖がどんなものだったのか、今、母親はあの時の娘さんと同様の寂しさや恐怖を味わっているわけです。母親は娘さんに謝るべきです。なかには、行儀の一環として殴ったと主張し、親は子供を殴って育てるものだ、という親もいますから、そんな親からは逃げましょう。逃げるのが一番です。関わってはいけません。

自業自得

 子供をかわいがる、ということは衣食住を与えることだ、と思っている馬鹿親もいます。幼い子供は無力です。守ってもらえる唯一の存在は親だけです。その子供をかわいがるどころか、虐待したわけですから、今更、私の面倒をみておくれ、と言うのは虫が良すぎます。自分が人に味わわせた感情を、今じっくり自分で味わってもらいたいですね。親兄弟親戚などの対人関係を死ぬ前にちゃんと見直ししておくべきではないでしょうか。自分が行ったことに責任をもつべきです。そらが親というもの。

娘さんにアドバイスをするとしたら、、、

 お姫様のようなお母さんのもとで生活するのは大変だったでしょう。お母さんにとって、どんな環境でも、物語の中心にいるのはいつも「自分」、つまり「お母さん」なんですよ。きつい言い方をしたら自分のことしか考えていない人です。あなたは良い伴侶に出会って新しい家庭を築くことができたのはとても幸運なことです。お母さんは、弱い立場の人しか虐待しません。優しい人が真っ先に虐待のターゲットになるのです。お母さんは息子には手をあげなかったでしょう。それは、長男が家を継ぐものだという意識があったからだと思います。悲しい言い方かもしれませんが、あなたはお母さんのサンドバッグだったのです。とは言ってもあなたの親ですから、お兄さんとよく相談して、お母さんがもっと年をとったら、施設などに入れるようにしたほうがよさそうです。あなたはもうお母さんと一緒に住まないほうがいいです。これからは自分が幸せになる道を選んでください。

 

 自分が精神的に参ってしまうような人とは縁を切ったほうがいいです。しかし、いろんな事情で縁を切ることができず、どうしてもいやな人と生活を共にしなければならない場合もあります。金銭的にも身体的にも二人以上で生活しなければならない人はどうしたらいいのでしょう。そんな時にはノンデュアリティーが救いになります。誰かとの確執が自分に起こっているのではなく、ただ単にそういうことが起こっているだけです。自然発生している、と思うと気分が楽になります。非常に難しいことだと思いますが、目の前にどんどん展開されている状況を達観して、起こっている事態そのものにとらわれない生き方です。興味がある人は、ノンデュアリティーに関する本を読むことをお勧めします。

『オープン・シークレット』BYトニー・パーソンズ
『つかめないもの』BY ジョーン・トリフソン
『ホームには誰もいない』BY ヤン・ケルスショット
『誰がかまうもんか』 BY ブレイン・バルドー
『すでに愛の中にある』BY 大和田菜穂
『ただそのままでいるための超簡約指南』BY J・ジェニファー・マシューズ
『bing : the bottom line』BY Nathan Gill
『すでに目覚めている』BY ネイサン・ギル

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