『大河の一滴』 BY 五木寛之

人間は死んだら、だれでもみんな同じところに行く。地獄とか天国はこの世にあって、良い時期もあれば、これでもかと言わんばかりに大変な時期が続くこともある。親鸞聖人の悪人正機説にあるように、天は悪人も救う。阿弥陀様は悪人も善人も助けたくてじっとしておれないお方なのだ。本書は、親鸞聖人と蓮如聖人のエピソードを織り交ぜて、現代人の苦しみを和らげるためにはどうしたらいいのか、読者に語り掛けるような優しいタッチで書かれています。共感するところが多く、何度でも読みたくなる本です。苦難の人生を生き易くするために、この本をお勧めします。

五木氏は、人は苦しい時があるからこそ、思いがけず他人からそそがれる優しさや小さな思いやりが昊天の慈雨として感じられ、感謝が生まれる、と述べています。また、期待していないときこそ、本当の感謝の気持ちが現れ、親切に慣れてしまうと、感謝の気持ちが消えて行く、と言っています。
 コロナ渦にあって、現代は金銭的に苦しくなり、対人関係も悪化し、マスク警察や自粛警察が現れて、ギスギスした人間関係に悩む人が多くなった。ひからびたダムのように人の心もドライになったのだろう。五木氏は、「からからにひび割れ、乾ききった大地だからこそ降り注ぐ一滴の雨水が甘露と感じられるのだ。暗黒の中だからこそ、一点の遠い灯に心がふるえるのである。」と述べている。私が生まれた昭和ではもっと人情があったと思う。小学生の時怪我をして帰っても、隣のおばちゃんが手当てをしてくれた。両親は共稼ぎだったから。みんなが助け合って共存していた。最近は核家族化が進んだせいか、周囲の人に無関心な人が増えた。もっというと、自分さえ、あるいは、自分の家族さえよければ他の人のことなでどうでもいい、という人が多くなった。これも時代の流れというものかと思うと寂しくなる。日本人はどんどん冷たくなっているような気がする。人類全体とまではいえないけれど、せめて日本では、血の通った暖かい人間関係の中にいたいものです。私はニューヨークに住んでいましたが、渡米するまえはニューヨークのような都会の人達はさぞかし冷たいんだろうな、と変な固定観念にとらわれていた。ところが、そんな都会の片隅で、小さな親切をたくさん見たのです。アメリカでは車の運転をしなかったので、お米などを、自分のアパートまで持って帰らなければなりません。コロのついたショッピングカートを購入して、買い物をなんとかクリアしていた。当時は日本食を売っていたスーパーには、エレベーターがなく階段を下りたり上がったりしなければならなかった。ある日、ショッピングカートを手で持ち上げて階段を上っていたら、ショッピングカートを一緒に持ってくれる人がいた。ほかにも、ちょっとしたことなんですが、日本人ならほぼやらないだろうと思われる親切をスッとやってくれるのです。何気ない親切が奇跡のように見える瞬間が何度もあった。
 生きていると、思いがけず望んでいないことが起こる。人間の知恵ではどうすることもできない事態になったら、流れに身をまかせるとよい。この先、どうなるのかと幾通りもの未来を想定して苦しむのは得策ではない。私達は大河の一滴に似ているかもしれない。五木氏は、「濁った水も、汚染された水も、すべての水を差別なく受け入れて海は広がる。やがて太陽の光に熱せられ海水は蒸発して空の雲となり、ふたたび雨水となって地上に注ぐ。」と述べている。私達は、今、たくさんの便利な物に囲まれて生きている。我慢することが少なくなり、人や物への感謝の念が薄くなりつつある。Give and Take のドライな関係ではなく、五木氏が述べている通り、原点に立ち戻りながら生きていくしかない。

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