最強の楽天家__まっ、いいっかぁ!

こんにちは!
メディアはいい加減ですね。
ちょっと前まで、
どの番組もコロナだらけだったのに、
今はGO TO TRAVELのこととか、
ディズニーランドがどうのこうのとか、
肝心のコロナに関する薬などの治療については、
ほとんど放送がありません。
あるのは、何人感染して何人亡くなったかという数字だけ。
最初っから緊急事態宣言なんてせずに、
国民みんな、旅行にでも自由に行かせて、
好きにさせていたらよかったのかも?

探求は止まらない

 私達は、欲しい物をゲットしたら幸せになれると思っています。ところが、どれだけゲットしても、次なる欲求が湧いてきて決して満足することはありません。常になんか足りないと思い続けているのです。何もゲットできない人は、引き寄せの法則とやらを利用してなんとか欲しいものを手に入れようとして、それでも手に入らないから非常に不愉快な気分で過ごすことになるのです。どうしたら平安な気持ちで過ごせるのでしょうか。
 ガッカリするかもしれませんが、引き寄せの法則なんてありません。あったとしたら、たまたまそうなったんだと思います。あるいは、その人が欲しいと思っていた物の方がその人を引き寄せたんでしょう。この世はすべて自動操縦されていて、人間が思い通りにコントロールできるものは一つもありません。思い通りにならないのがこの世なんです。仕事が終わって電車を待つホームで、事故のため列車が遅れるという放送があったとします。今日はあなたのお誕生日を祝ってくれる家族が自宅で待っています。早く帰りたい、でもいつになったら、電車がくるのか分からない。あなたはイライラしたり、いやな気分になるでしょう。タクシーで帰ろうかな、と思ったりします。でも、タクシーに乗る羽目になる、ということと、電車が遅れている、ということと、今日はあなたの誕生日、ということは、全部独立して存在し、ただそのような状況が起こっているだけなのです。あなたのせいでもなければ、あなたの家族のせいでもない。はたまた、事故を起こして列車を止めてしまった人のせいでもないのです。つまり誰のせいでもありません。そんなことはないでしょ! 事故を起こした人が一番悪い、と誰もが思うでしょう。しかし実際に因果関係というものはなく、それぞれが単純に発生しているだけです。ブログを読んでくれている皆さまは、ただブログを読むという行為が起こっているだけで、私の場合はブログを書くという行為が起こっているだけです。誰かが○○をしたから私に○○という結果が起こっている、という考え方を外すと楽になります。それでも、人間はもっと良くなりたいと思って探求し続けます。今回のケースでは電車が遅れたという単純なケースで、タクシーに乗っちゃおうか、それとも彼氏に迎えに来てもらおうか、などと楽になる方法が頭を駆け巡るわけです。電車を待ったために一時間遅れた場合とタクシーで帰って10分の遅れですんだ場合を考えると、早く帰れるかもしれないけど、タクシー代がかかって馬鹿らしいと思うかも知れません。長年ほしかったタワーマンションを買ったとしても、実際に住んでみると、部屋から見える素晴らしいイルミネーションも三日で飽きると言っている人がいます。安月給で無理して買ったマンションなのに、お部屋の素晴らしさに飽きると、今度は、マンション代金をすべて払い終わっているにも関わらず、管理費や修繕積立金や駐車場代金など、払うものだらけですぐに嫌になってしまう人もいるとか聞きました。やっぱり、ここを売って一戸建ての家を買おう、などと、次から次へと欲望は止まりません。
 私は自分が消えてしまうという経験をしたことがあります。目の前にある風景はちゃんと見えていました。木も空も走っている車も見えました。私はその風景の中の一部になっていたんです。すべてはひとつのエネルギーから発生していて、望むと望まざるに関係なく、自動車は自動車として、ビルはビルとして、私は私として存在しているのです。この経験をしてから、特に起こったことを真剣に考えなくなりました。一時期、住むところが無くなってしまうかもしれないような危機状態にもさらされましたが、「私に渡された人生の脚本はそんな風になってるんだ」と他人事のように事態を傍観していました。すると、不思議になんとかなるようになっているような気がします。

寸分もたがわず完璧な状況の中にある

 今私達がいる環境は、最も私達にふさわしい環境らしいのです。こんな辺鄙な田舎に住むのは嫌だ、都会のマンションに住みたい、と思っても、そこがその人にとっては完璧な場所なんです。私が今使っているテーブルも、こういう形のこういう色のテーブルという形をとってここに存在するという完璧さを持っています。
 すべてはなるようになっているので、楽観的に生きたほうが得策です。私達は何かになる必要もなく、何かに成功する必要もないのです。最近小学生の間で一番人気の職業はユーチューバーです。もし、ユーチューバ―になれて、地道な努力で大成功をおさめたとしたら、努力の甲斐があったね、とだれもが思うでしょう。しかし、「なせば成る・・・」という言葉はウソです。どんなに努力しても成功するとは限りません。大金を使って大失敗する人もいます。成功した人は、ものすごい努力をして成功する、という台本の役柄を忠実に演じているだけなのです。そのことに気付くと、成功した人は少し謙虚になり、成功しなかった人もそんなに嫉妬しなくなるでしょう。人生は自動操縦されていて、映画を観ているのと同じです。にっちもさっちもいかなくなったら、「Tully’sコーヒーにでも行ってミルクティーでも飲むかなぁ」なんていう気楽さが救いになるのです。私達自身は実在しない人間なんですから、そう、そこらに漂っている風のようなものなんですから、何も深刻に考える必要はないのです。ノンデュアリティーに関する本である『すでに目覚めている』の著者ネイサン・ギル氏が言ったように、人生は最大の娯楽なのかもしれません。いつか、幻想という名の夢から目覚めて、「なーんだ、夢だったのか、よかったぁ」という日が来ます。今、目の前で起こっているすべての事が、悟りを開くために必要なことであるなら、悟るまで、自分の外側で展開されているように見える現象を達観視していたいものです。すこし余談になるかもしれませんが、私がまだ会社務めをしていた頃、私に挨拶をしなくなった社員がいたんです。その時は、「私は○○さんになんかまずいことを言っちゃったんじゃないか」とか「何か気に入らない態度をしてしまったのかなぁ」と悩みました。でも、何も不快なことをやった覚えのない私は、そうだ、名前を呼んでみよう、と思い、「○○さん、おはようございます」と明るく言って見ました。それでも無視されて、今度は、○○さんの目の前まで行って「○○さん、おはようございます。今日は暑いですね」なとど言ってみました。それでも無視されました。こういう場合も、何が原因だったのか○○さんい聞いてみるとか、○○さんに媚びてみるとか、何もしないで、ただ普通にしていればいいのです。これでもかというくらいに無視されても、毎日飽きもせず笑顔で挨拶していましたら、○○さんも挨拶をしてくれるようになりました。深刻に考えないことですね。
 私達はこういう遺伝子を持って、こういう肉体を持って、こういう環境で育つ、という筋書き通りに動いています。もしかしたら、「努力家」とか「辛抱強い」というのも遺伝子に組み込まれた才能かもしれません。何が言いたいのかというと、できないことはできないのですから、また、そうなってしまったことはそうなる以外のことにはなりえなかったのですから、頭をいったん空っぽにして、馬鹿になって乗りこえませんか? 私もそうやって楽に生きていきたいです。

 

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