生きる知恵__ブレーキをかける

こんにちは!
最近いろんなものが値上がりしていますね。
消費税は将来的に30%になると言われています。
私達は江戸時代のお百姓さんみたいです。
たくさん年貢米を取らせて生活がどんどん苦しくなっています。

お金の有難味をヒシヒシと感じる

安いことで有名だったこのへんのスーパーが暴走し始めた。
ソーッと値上げしたつもりかもしれないけど、
毎日買い物している私の目はごまかせませんよ!
<ダメなスーパー>
・やたらと値上げする。
・在庫が切れているのに、なかなか補充しない。
・商品が三流以下。(魚が生臭い・肉の油部分が多い・野菜がしなびている)
・いつも入れていた商品を突然違う商品に変更する。
 この辺の某スーパーは、かなり適当な感じでやっている。一度、玉ねぎのコーナーから大量のハエがブワァーっと舞い上がってびっくりしたことがある。あそこではもう二度と玉ねぎを買わないつもり。最近は、この店では魚類は買わない事にしました。たまに大当りの良いお肉が出ているので、そういう時だけ肉類を買って、このお店では缶詰や調味料ぐらいにとどめておこう、と思う。でも、これだけ商品が高くなると、食費や生活雑貨にかかる金額が目標をはるかに超えてしまう。こわっ! 新しいタイプの料理を開拓したほうがいいかもしれない。鶏もも肉の代わりにササミの料理でも大丈夫なメニューにするとか。 1000円の重みをズシリと感じる今日このころです。

アクセルを踏み続けてはダメ!

 今まで、私達はアクセルを踏み続ける生活をやり過ぎたのではないか? 着たい服を着て、友達と飲み会に行っては美味しいものに舌鼓! かっこいい車もほしいし、素敵な家に住みたい。欲望は無限大です。
 今は、コロナのせいもあって、経済危機の中で誰もが不安な生活を送っている。欲望を極限まですり減らす時がきたと思う。つまり、アクセルを踏むのをやめてブレーキをかける時代の到来です。いったん上がってしまった生活水準を下げるのは至難の業だとよく聞く。しかし、少々時間がかかっても、そうするしかない。というよりも、そうせざるを得ない。今のところ、なんとなく生活がきついな、くらいでことが済んでいる。強烈な我慢を強いられる時代はまだ序の口で、今からが本番になる。まあ、大丈夫だろう、いつかコロナも終わるし、なんとかなるわ、と気楽に構えていないほうがいいような気がする。日本に住んでいる限り、生活保護の制度があるし、死ぬことはないかもしれないけど、私が住んでいる地域の生活保護費は8万円もありません。生活費はわずか月7万数千円で、マックスの家賃が32,000円だそうです。法律にあるように、文化的な最低限の生活保障はできないような気がする。
 戦時中は、みんなで力を合わせればなんとかなる、という希望が持てていたようですが、今は、あのころの希望はありません。で出口が見えない中、多くの人がひたすら貧困と我慢を強いられることになりそうです。私もその一人です。コンパクトな生活を工夫したいものです。

今こそ目覚める時

 私達は大変な時代に遭遇してしまった。自分の力ではどうにもならないことがたくさんあって、人間がもてる力について無力感を感じざるを得ない。次々と起こる異常気象、謎のウィルスの襲来、経済の低迷。大いなる何かが目覚めを促しているとしか思えない。
 まず、無力な自分を受け入れること。そして、自分では変えられない環境をありのままに認めることから始めたい。そうすると謙虚になれる。ほんとうは、誰かが誰かよりも優れていることはないし、劣っていることもない。すべてのものを比較して区別するのではなく、手元にやってきたそのものを楽しんで使う。失ったものは、無くなるべくして無くなる運命にあったのだ。極端な話しですが、職を失うのも自然の流れの一環として受け止めるほうがよいと思う。私も以前、失業してお金に非常に苦労したことがあります。莫大な金額を払わなければならないのに働けない状態。どうやってクリアしたかというと、ここだけのお話ですよ(笑)、恥ずかしいなあぁ、実は、神様にお願いしました。おかしな宗教団体に入ったのではなく、自分で勝手に神社に行って、神様助けてください、と泣きながら手を合わせていたんです。その時は、神様しかない状態だった。四面楚歌というか、誰も助けてくれる人がいなかった。でもね、結局、神様は助けてくれたよ。いろんな場面で助っ人が現れて、助かったぁ、という場面が増えた。今という時期は、あの時の私のように、神様に手を合わせる時なのかもしれない。戦時中は神風特攻隊という名前の組織があったりして、神様を信じていた。最近、神様の存在が薄れたように思う。
 ノンデュアリティーの考え方にあるように、ほんとうにこの世が幻想の世界であるとしたら、私達はゲームに登場するキャラクターのようなもの。同じ苦しみでも、乗り越えやすくするために、私達には、他力というべきか、何か大いなる力が必要だと思う。

<追伸>
私は宗教団体は嫌いなので、どこにも所属していません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Monologue

前の記事

挫折する勇気
Monologue

次の記事

昔の遊び