京都・空中経路

みなまさ、こんにちは!
京都は楽しいアトラクションでいっぱい!
京都駅の空中経路から見る眺めは最高です。
気分転換になりますので、京都に行くチャンスがあれば是非行ってみてくださいね。

2020年2月20日に撮影したものです。あのころはまだコロナ感染者も1~2人だったと思います。緊急事態宣言が出るなんて思っていなかったころです。

 




唯物論が崩壊して精神世界が始まる

世界は今、新しい時代を迎えようとしているのかもしれません。どれだけの物を所有しているか、いくらの資産を持っているか、どれほどの社会的地位についているのか、など、誇れるものをゲットする時代は終わります。どんなにたくさんゲットしても、心が満足することはありません。私達はすでに素晴らしい何かを持っているのです。

私達人間というのは、ほしいものを何度手に入れても、欲しい物が次々に浮かび上がってきて、決して満たされた気分に至りません。どん底の生活から、大金持ちになった人が精神的な病気になった話はよく聞きます。私達が本当に手に入れたいものは一体何なんでしょうか? 「悟り」かもしれませんよ。私は時々、悟るとはいったいどういうことなのか考えることがあります。いまだに謎なんですが、自分が誰なのか知ることが「悟り」かもしれないと思うようになりました。私達は、この宇宙を形作っているエネルギーの一部です。宇宙の法則というものが神だとしたら、私達は、神様が広大な宇宙のキャンパスに描いた絵みたいなもので、「自分」という存在は本来いないということです。

私達人類は、つらい人生を乗り越えるために、宗教を作りました。困ったことが起こると、神が魂を鍛えるためにつらい経験をもたらした、とか、魂の成長のために厳しい状況が必要だ、とか、都合のよい定義を作って困難な環境を乗り越えやすくしてきたのだと思います。個人的に、私は、「カルマ」とか「魂を鍛える」とか「魂の成長」と言う言葉が大嫌いです。すべてが宇宙のエネルギーで出来ているとしたら、魂もそのエネルギーのひとつでしょう。その神のエネルギーをなぜ鍛えたり、成長させたりする必要があるのでしょうか? もし、神様が本当にいるとしたら、そして、すべてが神様で出来ているとしたら、神様を鍛えるなんてことは、神様に失礼だと思いません? なんか理屈っぽくなりましたが、人生は、一冊の本みたいなもので、すべては必然的に起こっているのだと思います。出来事は、なんの因果もカルマもなくただ単に起こっているのです。じゃあ、何のために人は生まれてきたのか、と聞かれても、私には分かりません。でも、宇宙のエネルギーの中に溶け込んでしまうことができたら、なんて楽なんでしょう、と思うんです。人間は複雑な脳の構造を持っているから、なんでも理由や関連性をつけて、問題を大きくして苦しんでいるような気がします。ウチはセキセイインコを飼っています。動物には「今」しか認識できません。未来に起こる事を予測して怖がったり、過去の出来事を悔いたりしません。誰を責めるわけでもなく、自然の流れのままに生きています。時々、セキセイインコのピー君に意地悪をして、夜、電気を切って真っ暗にすることがあります。パソコンがついている明かりでもって、私はピー君の慌てている姿を見て、かわいい、と思ったりして楽しんでいるわけです。かわいそうなので、すぐに電気をつけてあげるのですが、ピー君には、飼い主が電気のスイッチを切って、自分は迷惑を被った、この飼い主の野郎はロクなヤツじゃない、とは思いません。ピー君にとっては、ただ単に、真っ暗になった、という事実だけが起こっているのです。起こってくる様々な現象も宇宙エネルギーの模様みたいなもので、現れては消えていく儚いものです。

最近、はまっているノンデュアリティーの本を読んでいると、ものごとをそんなに深刻に考えなくなりました。頭にくる人が現れて、それに対して私が反論しても、流れる雲のようなものだと思えるようになりました。年をとったせいもあるのでしょうか(笑)。いつまでも、気になることを手元に持っておかないで、あっさり手放してみるのもいいものです。

ノンデュアリティーの考え方は、それが全てだと思って読んでいると、私の脳にはあまりよくないと思うので、共感できるところだけ吸収するようにしています。宇宙や神を理解するなんてことは普通の人間にはできませんからね(笑)。でも、頑張り過ぎて疲れている人にはよい本かもしれません。

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