釈心(しゃくしん) 読むだけで幸せになる物語

みなさま、こんにちは! 今日は御釈迦様が人間界に送った不思議な女の子の話をします。とっても体の弱い子で、やせっぽちで、あまり美人ではありません。性格も消極的で周囲の人達と打ち解けるのが苦手な女の子です。女の子は一見してイジメられそうなのですが、どんな悪もはねのける不思議なパワーを持っていたのです。

 

「御釈迦様、行ってきます」
「行ってらっしゃい。しっかり楽しんできなさい」
「了解致しました」

 

女の子はわずか800gの未熟児で生まれてきました。保育器での長い集中治療に耐えて、やっとの思いでこの世の生を勝ち取ったのです。お母さんもお父さんもとても優しい人で、初めて生まれてきたこの女の子を大切に育てました。名前は釈心(しゃくしん)と名付けられました。御釈迦様のように優しい子に育ってほしいという両親の思いが込められています。

 

釈心は体が弱く、よく風邪を引いたり、嘔吐したり、皮膚がひどく荒れたりして、病院に行きました。その度に両親は深い愛情を持って釈心を育てたのです。特に大きな病気をすることはありませんでしたが、体が年齢の割には大きくなりませんでした。目は一重瞼で糸ミミズのように細く、唇はタラコのように分厚く、体全体がやせっぽち。おまけに、性格的には社交性に乏しく、幼稚園に入園しても友達ができませんでした。

 

釈心は小学校に入学してからもなかなか友達ができませんでした。休憩時間はいつも一人で絵を描いたり小説を読んだりしていました。小学校三年生のある日の午後、給食を食べ終わってから休憩していた時に、一人の男の子が釈心に声をかけてきました。「お前、目を開けてんのか? 細すぎて起きてんのか寝てんのか分かんねぇよ」と、大きな声で言いました。男の子の友達らしき二人の男の子が声高らかに大笑いしました。釈心は、表情ひとつ変える事なく、「起きています」と言いました。男の子達は、イジメてやろうと思っていたところ、期待外れの反応を目の当たりにして、今度は「お前、なにくわえてんの? それって唇か?」と言いました。釈心は「何もくわえていません」と再び、平然と答えたのです。

 

釈心がこんなに酷いことを言われているのに、助け船を出してくれる人は誰一人としていませんでした。帰宅してから、釈心は両親に何も言いませんでした。両親に心配させたくない、と思っていたのではありません。すでに学校で起こったことを忘れているのです。いつものように普通に宿題を済ませ、夕食もちゃんと食べ、柔らかくてフカフカのベットでぐっすり眠ることができました。

 

翌朝、学校に行ってみると、大変な騒ぎになっていました。誰かが、昨日の出来事を先生に報告したのです。釈心に嫌がらせをした男の子は先生に叱られ、男の子の両親が学校に呼ばれていました。それからというもの、男の子は学校に来なくなりました。その三日後、一緒に笑って釈心をからかっていた二人の男の子にも異変が起こりました。一人は交通事故で入院し、もう一人はイジメを受けて登校拒否になったのです。

 

その後も、釈心をイジメようと躍起になる生徒達が次々と現れました。誰にも見られないように学校のトイレに釈心の顔を押し付け、顔を水浸しにしたり、学校の帰り道で待ち伏せし、釈心のランドセルをカッターで切り付けたりしました。もうこれは犯罪です。しかし、不思議なことに、トイレの水を浴びせられても、すぐに水が乾いて釈心は平然と教室に戻ってきます。ランドセルを切られても、なぜか翌日にはピカピカの新しいランドセルをしょってきます。とにかく、何をされても平然としているのですから、イジメる側としてはイジメ甲斐がないわけです。釈心は両親に何も言わないので、両親が学校に苦情を言いに来ることもありません。

 

釈心の顔をトイレに押し付けた子は三人いました。夏休みのある日もことです。この三人は海水浴場で溺れて、危うく命を失いかけました。近くにいたボートに助けられたのです。三人とも数日の入院で済みましたが、非常に怖い思いをしました。釈心のランドセルを切った子は、家庭問題で精神を病み、カッターで手首を切りつける自傷行為が度々発症するので入院することになりました。

 

以前、釈心のイジメを先生にこっそりと報告した子がいました。その子の名前は観音(みおん)と言います。観音は釈心の周りで起こっている一連の現象をすべて見ていました。ある日の午後の休憩時間のことです。釈心が教室で本を読んでいると、観音が釈心に声をかけてきました。

 

「あなたを困らせた子達、みんな酷い目に遭ってる。あなたは誰?」
「誰って? 私は、円城寺釈心です」
「名前を聞いているんじゃないわ。あんなに酷いことをされたのに、どうして黙っているの? 先生にも言わないし、お母さんやお父さんには話したの?」
「誰にも話していません」
「……、じゃ、どうして、そんなに平然としていられるのよ!」
「平然としているから問題が解決するんです」
「……確かに……、今じゃ、学校中のみんなが釈心のこと怖がってるわ」
「怖がるのも自由、怖がらないのも自由、私は何も怖くない、何もしていないし……」

 

生きていると、望んでいない事も起こります。ハッピーな日もあれば、嵐のような日もあります。とても平常心ではいられない時でも、自分に降りかかる現象をすべて受け入れて生きるしかありません。この物語は、極端なストーリーに仕上がっていますが、つらくなった時に読んでくださいね。きっとあなたにも千手観音様のような強い味方が付いている事が分かります。つらいことはそう長くは続きません。もしも、あなたが、長期間にわたって苦しんでいらっしゃるとしたら、ハッピーな日が来る日が近いと思って間違いありません。

 

ハッピーな時には、ハッピーを全身で喜んで、
苦しい時には、苦しみをじっくり味わって、
これから起こるいろんな出来事に対抗できる自分作りをしたいものです。

 

人生は一度きり、
楽しい事も苦しい事も味わって、
最後には後悔を残さず、
なかなか、面白い人生だった、と言いたいですね。

 

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