北九州監禁殺人事件

こんにちは!
今日は「ホウドウキョク」さんの記事に出ていた北九州監禁殺人事件の全容を読んでみました。
人の弱みにつけこんでマインドコントロールするなんて、衝撃的な怖さがあります。

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北九州監禁殺人事件の全容。7人はどのように殺害されたのか

・マンション仲介の男性を暴言と暴力でマインドコントロールし、金を奪い殺害
・緒方受刑者の家族を巻き込み様々なルールと暴力などでマインドコントロール
・家族同士を殺害させあう卑劣な犯行

福岡県北九州市で7人が監禁・殺害された事件。

日本史上稀に見る残酷な事件が2002年に発覚したきっかけは、当時17歳の少女が監禁先から逃げ出し、警察に通報したことからだった。

初めは1人の少女の監禁事件として考えられていたが、真実が明らかになるにつれ、その凄惨さに世間は震撼することとなった。

犯人は松永太死刑囚と緒方純子受刑者の2人。どちらも当時40歳だった。

詐偽と脅迫容疑で指名手配されて逃亡を続けてきた2人は、どのように監禁・殺害事件をおこしたのか。(2人の出会いや事件が起きるまでの概要はこちらから)https://www.houdoukyoku.jp/posts/23090)

概要を読むのが面倒な人は、こちらをお読みください。まとめました。

松永太死刑囚は1961年、大学を中退し、家業を継いで会社を設立。粗悪品の布団を高額で売ったり、脅迫のような手口で売るなどして稼いでいた。そんなある日、松永死刑囚は、高校の卒業アルバムを見て、緒方順子に電話。その後二人は深い中になった。その時、松永は結婚しており、二人は不倫関係だった。二人の付き合いに反対していた緒方順子の両親に、松永はわざわざ婚約確認書を作成して渡したが、その直後から2人の関係に変化が起こりだした。松永は緒方に「おまえのせいで妻に交際がばれた」「おまえのせいで俺の人生は滅茶苦茶になった」などと言い始め、暴力を振るうようになった。緒方は松永に言われるがままに、親戚や友人に嫌がらせの電話をかけ、関係を断たれて孤立するようにしむけられた。だんだん松永のマインドコントロールに支配されるようになっていった。松永は会社の従業員にも暴言と暴力を繰り返すようになり、従業員はどんどん退職していき、会社経営は傾いていった。二人は、知り合いやその親戚から金をだまし取ったり、消費者金融などから繰り返し借りさせたりしているうちに、詐欺と脅迫容疑で指名手配されるようになった。2人は詐欺を繰り返しながら逃亡生活をしていた。その逃亡中に7人が殺害される事件が起きていく。

二人はどんな幼少時代をおくったんでしょうね

二人は、何不自由ないお坊ちゃまとお嬢ちゃまだったようです。緒方受刑者は、農家を継ぐために親が決めた人と結婚する運命にあったようです。自分の選択を諦め、両親に自分の人生の舵を握られているような感覚に悲しい思いをしていたのかもしれません。だから、そんな時に現れた松永死刑囚に引かれてしまったのかもしれません。松永死刑囚は、布団や粗悪品を高額で売っていたようですから、元々の家業自体で両親の背中をみて育ったのかもしれません。ここの記事だけでは計り知れない何かがあるような気がします。

 

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そして始まる殺人事件

金に困った2人が目をつけたのは、逃亡中にマンションを仲介してくれた男性だった。松永死刑囚は偽名を使って一流メーカーで働く優秀なエンジニアを演じ、投資話を持ちかけた。それに男性は取り込まれた。松永死刑囚は、男性の妻に対する不満などを聞いては煽り、別居させ、過去に犯した悪事などを書面にするなどして弱みを握った。男性は当時8歳の娘を連れ、彼らとは共同生活をはじめるようになる。この娘は17歳になり逃走するまで、9年間を2人と過ごすこととなる。しかし、同居が始まると、松永死刑囚と緒方受刑者は、男性の行動に難癖をつけては ”通電” などの暴力を始めた。体をペンチでつねる、殴る、剣道のそんきょの姿勢や長時間の起立。食事はラードを乗せた白米のみで、洋室に閉じ込め、真冬に冷水のシャワー、睡眠時間の制限などありとあらゆる虐待を加えた。そしてその虐待は当時8歳だった男性の娘にも行われた。男性と娘は虐待に次ぐ虐待で、松永死刑囚のマインドコントロール下に置かれ、口止め料・慰謝料・娘の養育費などと様々な名目で、多額の金を要求されるようになる。男性は消費者金融や親、知人などから借金して金を渡し、その総額は少なくとも1083万円にのぼった。虐待を続けられた男性は次第に衰弱し、共同生活をはじめて1年4か月後、1996年に死亡した。享年34才だった。松永死刑囚は緒方受刑者に、遺体をバラバラに解体させ、刻んで捨てさせた。この行為について松永死刑囚は「私は解体の構成に関わり、プロデュースしました。設計士がビルを建てるのと同じですよ。私の解体方法はオリジナルです。魚料理の本を読み、応用し、佃煮をつくる要領でやりました」と語っている。

マンションの仲介人はどうしてこんなに簡単に騙されたのでしょうね

男性は妻に対する不満を持っていたと書いてあります。松永死刑囚が、言葉巧みに男性の心を取りこみ、「それは奥さんが悪い。よく我慢しているな。大変だな」などと言って、表面上は心優しい「聞き役」「相談役」のように見せかけ、人の弱みに付け込んでマインドコントロールしていったんでしょうね。あまり、不平不満ばかりを言っていると、悪魔や死神のような人間を引き寄せてしまうのかもしれません。用心用心用心。

家族をマインドコントロールし、殺害させあう

男性を殺害する前、松永死刑囚は男性の知人の妻を結婚詐欺にかけ、男性と同様に監禁し、金を奪って虐待をしていた。男性が殺害され、知人の妻が逃走した後は、緒方受刑者の母親からの送金で暮らしていた。しかし、その送金が1500万円を越える頃、母親の蓄えが底をつき、送金がなくなった。松永死刑囚は緒方受刑者に資金作りを要求したところ、緒方受刑者は内緒で湯布院に働きに出た。それに対して松永死刑囚が逃げたと思い込んで激昂し、緒方受刑者の家族が巻き込まれることとなる。松永死刑囚は緒方受刑者の家族に芝居をさせ、緒方受刑者を呼び戻した。さらに家族に対して「緒方受刑者が男性を殺害して死体を解体し、さらに女性を海に突き落として殺害した」など事実を誇張して伝え、家族から ”緒方受刑者を時効成立まで逃走させる知恵料” などの名目で結果的に4000万円以上もの金をだまし取った。両親と妹が、まず頻繁に松永死刑囚からマンションに呼び出され金策などを話し合わされるようになった。さらに、元警察官だった妹の夫まで松永に取り込まれ、妹夫婦の娘と息子も含めた同居生活が始まってしまう。

松永死刑囚は妹の夫にわざわざ不満を言わせ、暴力を振るわせた。家族に対しては、緒方受刑者の犯行に加担したとの負い目を感じさせるために、男性を殺害して処理した台所の配管などの取り替えをさせたりした。また、独自のルールを決め、家族全員をマインドコントロール下に置いていった。そのルールとは、松永死刑囚が指示するときだけとれる1日1回の食事。水も松永死刑囚が許したときだけ、緒方受刑者が準備して飲むことができた。ご飯の内容は炊事がいらないという理由から、ほとんど食パンか菓子パン。そんきょの姿勢で食器を使わせず、7~8分以内に食べられなかったら ”通電” や殴る蹴るの制裁が加えられた。排泄や睡眠も松永死刑囚が支配し、自由な行動や会話は許されず、一日中無言のまま足がむくむほど立たされたこともあったという。もちろん知人や仕事先などとの連絡は一切断たせた。また、家族一人一人に「ランク付け」をして、その時々によってランク付けを変えさせることで、お互いに敵対心を生まれさせた。逃げ場のない異様な環境で、松永死刑囚は独自のルールと暴行と暴言、そして ”通電” などによって緒方受刑者一家を支配し、何かを考えさせる余地を与えなかった。緒方受刑者は「父は『もうこうなったら松永さんにぶら下がって生きていくしかありません』と話していたことを覚えています」と裁判で語っている。

そして松永死刑囚は、ついに緒方家の命を奪っていく。それも、自らの手は汚さずに。日常的に暴行と ”通電” が行われていたが、父親の些細な言葉に腹を立てた際、緒方受刑者に ”通電” をさせると父親は前かがみに倒れ、そのまま息を引き取った。緒方一家は松永死刑囚の指示で父親の遺体をバラバラに解体。これにより、一家にさらなる弱みを負わせた。その後、日常的な虐待や ”通電” 、そして夫を亡くし自ら処理をしたショックで、母親が奇声を発するようになった。松永死刑囚は緒方受刑者に母親を浴室に閉じ込めさせた上、「困るのはお前たちだろう」と妹夫婦に問いかけた。「よくなるかもしれないから、もう少し様子を見ましょう」などの提案には耳を貸さず、各々に役割分担を支持し、殺害させた。そして、それまでと同様に、遺体は解体され、捨てられた。今度は肉体的、精神的なストレスから妹の耳が聞こえなくなり、松永死刑囚の指示によって夫の手で絞殺された。その後、妹の夫が通電などの虐待によって死亡、甥も姪も殺害された。

子供を逮捕されないためには悪魔に魂を売る?

男と逃走した娘に1000万以上のお金を送金するのですから、そうとうなお金持ちだったんでしょうね。また、由緒ある家柄だったのかもしれないですね。地位や名誉を守らなければならない、という事態が起こったら、人間は、どんなことでもするのでしょうか? ゾッとするお話ですよね。「警察に相談する」という選択肢を全く考えさせないように一家をがんじがらめにした松永死刑囚の手口には舌を巻いてしまいました。まるで小説みたいです。

罪を認めない松永死刑囚

緒方受刑者の家族が全員殺害されたのち、およそ4年たってから、1人目の被害者の娘がマンションから逃げ出したことで事件は発覚する。2005年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部で行われた一審判決で死刑が2人に言い渡された。緒方受刑者は罪を認めたが、松永死刑囚は法廷で「控訴だ」と叫んだという。2007年9月26日に行われた二審で、緒方受刑者については「松永死刑囚の暴力に支配され犯行への関与も従属的だった」として一審の死刑判決を破棄し、異例の減刑となる無期懲役を言い渡された。松永死刑囚は、2011年12月12日、最高裁での上告は棄却となり死刑が確定した。(2人の出会いや事件が起きるまでの概要はこちらからhttps://www.houdoukyoku.jp/posts/23090)

サイコパスですね

こんなにたくさんの人を死に至らしめておいて、罪を認めないなんて、なんというサイコパスなんでしょうね。この人には人間の血が一滴も流れてないと思います。死刑の判決の重みなんて全く分からないでしょう。

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