誰かの笑顔がどこかで誰かを救っている
執着するから苦しい
執着が度を超すと苦しみがやってくる。
欲しくて、欲しくてしょうがない物が、
どうしても手に入らない時、
何が何でも、と思って頑張るから苦しいのだ。
かといって、執着するのをやめてしまえば、
人間に進歩はない。
人は執着するから発展してきたのだ。
この矛盾をどう処理するべきか?
私が思うのに、
執着するターゲットを変えるのも
一つの手だと思う。
ハードルを下げる、というか、
達成しやすい物や事を目指すのだ。
階段を上るのと同じことで、
一階から三階には行けないのだ。
どうしても二階を通らなければ
三階には行けない。
だから、目指す目標が適切かどうか、
今一度確かめているとよい。
人生は、思ったよりも短い。
焦らず、宇宙が決めたステップに
沿って頑張るのだ。
過去と他人は変わらない
過去のことはもう済んだことだ。
タイムマシンでもない限り、
変えようがない。
だから、過去のことはすべて
良かったことにしたらよい。
塞翁が馬というではないか。
あの時のあのことさえなかったら、
と思うのではなく、
あの時があったから今があるのだ。
強くなった自分があるのだ。
特に辛い経験は人を優しくする。
人の気持ちも分かるようになる。
人に優しくしてもらいたくて、
一生懸命、自分の気持ちを伝えた
こともあるだろう。
しかし、血も涙もない人間は
実際にいる。
いるのだから仕方がない。
そんな時は、自分がそんな人間ではない
ことを喜ぼう。
対処法としては、そんな人の元を去るか、
それが無理なら、心理的に距離を置くことだ。
人生は計り知れない不条理に満ちているけど、
どこかに必ず逃げ道が用意されているものだ。
小さな逃げ道に身を隠すものよい。
ピンチはチャンス
食えなくなる、という恐怖を
感じたことがある?
この恐怖は強烈だ。
こんな時、人間はチャンスを
与えられるのかもしれない。
ピンチはチャンスなのだ。
脳から緊急事態が発動し、
赤ランプが回り始め、
非常事態のアラームが鳴る。
頭にありったけのアンテナが張られ、
チャンスを逃すまいと、
必死に目を輝かす。
必死になっている人の目は
物凄いスピードで目の前を
通り過ぎていくチャンスを逃さない。
普段なら、「やろうと思ったらあんなことも
できるんじゃないかなぁ」程度のチャンスが
輝かしいチャンスに見えてくる。
できる! と思う瞬間にその手は
チャンスをつかんでいる。
研究や猛勉強が始まる。
まさに、火事場のバカぢからの発動だ。
人には優しくしたい
人は孤独の中に長くいると、
ほんの些細なことに感動するようになる。
孤独、といっても、物理的な孤独ではなく、
仲間に裏切られ、騙され、イジメられて、
引きこもりになった人のことだ。
そんな人が、たまに、買い物にいくと、
「いらっしゃいませ」の一言が
魔法の言葉になる。
コンビニの店員の作り笑いさえも有難い。
人の声や笑顔に飢えていたことに気付く。
孤独になる前は当たり前だった
ことの再発見に感動するようになる。
人間不信がちょっと緩んで、
悪い人ばかりじゃない、
と思うようになる。
人には優しくしたいものだ。
優しさは、自分に返ってくる。
笑顔ひとつでも、人に優しくしたことになる。
誰かの笑顔がどこかで誰かを救っている。
シンプル イズ ベスト
物事はなるようになるのだ。
深く考えないこと。
私の友人で、三万円の入った財布を
落としてしまった人がいた。
彼女は非常にあっさりしていて、
ケロっとして、「拾った人は得したね」
と言った。
一応、警察の落とし物係りに行ったけど、
誰も届け出ていなかった。
彼女は毎月三万円の貯金をしていた。
「まあ、今月の貯金ができなかっただけの話
よ。それだけのこと。深く考えない、考えない」
と言ったきり、それ以上失った三万円の
ことは何も言わなくなった。
彼女のようになれ、というのではない。
起こってしまった出来事を
いつまでもクヨクヨするな、ということだ。