私が看護師を辞めた理由

今回、私の入院を
サポートしてくださった
すべての方に感謝します。

T看護師さん、
私の担当ナースに
なってくださって、
ありがとうございます。
これからも
陰ながら応援します。

今日のブログのお話は
Tさんに捧げます。
辛くなった時は、
上司に基地外扱いされても
平然と勤めるバカナースを
思い出してくださいね。

私が看護師になった理由は、
息子を大学に行かせるためです。
離婚して、シングルマザーに
なった私が選んだ道が
看護師だったわけです。

タイトルの答えの一つは
息子が大学を
卒業したからです。

36歳にもなって、
看護学校に入学し、
老骨に鞭打って、
勉強に励んだわけです。
周囲はほぼ18歳ばかりで、
私は年齢不詳の
謎のおばさんでした。

看護師の資格を
取ったら、
こっちのものだ、
と思っていましたが、
とんでもない看護師の
イジメの洗礼を受けました。
どんなに嫌な思いをしても、
私の目標は
息子を大学にやることです。
辞められません。

心に残っているエピソードを
お話しましょう。

最初は外来の勤務になり、
師長から一発
強烈なパワハラを
受けました。

私は、会議室のような
ところに連れていかれ、
外来市長から酷いことを
言われました。

「外来のナースがみんな
あなたのことを
嫌っているので、
私はどうしたらいいのか
分かりません。
あなたは精神病院で
診てもらった方がいいです」
と、なんとも酷いことを
言われました。

そこで、
私は、
「他のナースが
どうして私を
嫌っているのか
教えてください。
いけないところは
直しますから」
と師長に言いました。

師長は
戸惑いながらも
「分かりません」
と言っただけです。

私は、
「じゃあ、今度聞いておいて
ください。私の悪いところは
直しますから」
と言いました。
普段、私は
外来勤務をしていて、
嫌われている感は、
ありませんでした。

気の合わない人は
どこに行ってもいますが。

当時外来だけでも、
40人くらいの
ナースがいて、
時々、仕事の帰りに
外来ナースと
お茶したり、
夕食を食べたりして
いましたから、
みんなが私を
嫌っていたとは思えません。

精神病院に行け、
と言われるくらいですから、
私を嫌っているナースから
理由ぐらい聞いていても
おかしくないですよね?

何日経っても
師長は何も言ってこないので、
こちらから聞くことにしました。

他のナースが
できるだけいっぱいいる
状態を選んで師長に声を
かけました。

「師長さん、他の人に
私の悪いところを聞いて
もらいましたか? 全員
私を嫌っているんですよね」
と、大きめの声で言ってみました。

すると、
師長は、顔を真っ赤にして、
「私は、『全員』と言ったの
ではなく、『みんな』
と言ったんですよ!」

と、意味不明な言葉が
返ってきたので、
私は、さらに言いました。

「『全員』と『みんな』は、
どんな違いたあるのですか?
教えてください」

と、極めて冷静沈着な
声で言いました。
師長は
真っ赤な顔をして、
ドアを派手にバタン
と閉めて、
外来から出て行きました。

私は、
看護学校の副校長に
泣きながら
電話しました。
副校長先生は
「その師長さんに
謝ってもらいなさい」
と言っていました。

私が勤めていた病院の
総師長さんは、
副校長先生の
教え子でした。
私の話を聞いて、
すぐに〇〇病院
の総師長に電話を
入れてくださったようです。

翌日、
私と総師長と主任看護師が、
総師長の部屋に呼ばれました。
外来の師長は
心細かったのか、
主任が隣に座って
いました。
多分、
一緒に来てくれないかと
頼んだんじゃないですかね。

私は心臓血管外科病棟に
移動になりました。
外来の師長と主任は
何も言えず、
俯いて座っていました。

全国の看護師さん、
プロフェッショナルな
仕事ゆえに、
厳しい事態にたくさん
遭遇すると思います。
このブログは特殊な例

なので、
気にしないでください。
でも、
看護師さんの笑顔と
プロのケアに
救われる患者さんが
たくさんいます。

辛いことがあった時、
このブログを思い出してください。
私みたいに厚かましく、
勤め続けたナースを。

 

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