不動心

何が起こっても動揺せず不動心でいられたら、
どんなに楽でしょう。
頭の中にインプットされた過去のデータは、
未来予想の元になっていて、
頑固に悪い予感だけを生んでしまう。
こうなったら必ずああなる、など、
何の根拠もなく不安になる。
未来は誰にも分からない。
予想は予想でしかない。
無駄な悪い予感と縁を切るにはどうしたらいいのでしょう。

 起こってしまったことは、完璧に起こるべくして起こっているのです。もし、違う道を選んでいたら私は今のように惨めな思いをしなかったでしょう、などと、誰もが思いがちです。しかし、あなたに何かが起こって惨めになるというストーリーが元々プログラムされていただけのことです。苦しみ抜いた人が最後に行きつくところはノンデュアリティーかもしれません。
 これからの時代は、今までの固定観念では生きられないような気がします。世の中は矛盾だらけで、今まで普通だと思っていたことが根幹からひっくり返される時代になると思います。どんな世界でも、一流になる人は厳しい下積み生活から這い上がってくる人だ、と誰もが思っていた時代が影を潜め、たいした努力もせず、経験もないのに、一気に人々のハートをわしづかみする人達が増えています。江戸時代の下剋上みたいですね。うまくいく人というのは、間髪入れず、未来予想図などを考えずに、たいした計画も立てずに始めたのに、トントン拍子にラッキーなことが起こるんじゃないですかね? 幸せというのは、頭の中にピーンときて、パーンと弾けるようにやってくるような気がします。いつまでもグズグズしていると、何も始まりません。人生が終わると、みんな焼かれて骨になるんですよ。これは凄い事です。生きている間にしかできないこと、今目の前にぶら下がってる面白そうな事、楽しくてワクワクすることに早く手を付けましょう。結果がボロボロでもいいのです。仲間の裏切り行為、借金、体調不良、など、起こってほしくないことが起こっても、すべては何者かの計画通りに起こっただけです。その何者かを私は神と呼びたい。成功も失敗もそこにただあるだけです。分かりやすく言うと、すでに完成して飾ってある絵のように、ただそこにあるのです。この「ある」という感覚もだたそこにあって、そのように、そして、それなりにそこにあるだけなのです。この気難しそうな感覚を感じられるようになったら、少しだけ「不動心」に近づけるような気がします。誰かと気まずい関係になっても、上司と喧嘩しても、信じていた人に裏切られても、そのような現象が、ただそこに起こっているだけです。「あの人は相当頭にきてるなぁ」「叱られた私は枯れ葉のようにシュンとなってしまった」「こんなに気まずい関係になったらもうおしまいだな」など、今、自分や相手に起こっている感情、起こった顔、などを達観視していると、苦しみがスーッと和らいだりします。起こった現象を好転させるべく、どんなに努力しても、変わらない現実を、第三者になったように観察していると、すべて諸行無常ですから、いつの間にか苦しみから解放されたりします。程度にもよりますが、苦しみからの解放には時間がかかる人も、すぐにできる人もいます。世界はすべてひとつのものでできていて、自分もそのひとつのものであるということが、少しだけ分かると楽になります。未来を予想するのをやめ、目の前に流れてくる人や物や事だけを感じ取ったり、観察したりすると、問題がスーッと解決することがあります。人間は深い潜在意識の奥底で繋がっていますから、自分が感じていることは、相手もどこかで同じように感じて反応するのです。だから、憎くて腹が立ってどうしょうもない相手を許したら、心の中だけで許しても、その思いは相手に通じるような気がします。時間や距離に関係なく。
 少しだけでも、ノンデュアリティーの真髄に触れて穏やかな気分になると、不思議なシンクロニシティ―が起こりやすくなります。自分にちょうどいい本に出会ったり、固定観念の奴隷になっていた自分に気付いたり、今目の前で繰り広げられている現象が本当は大したことじゃないことに気付けたら、楽になれそうです。

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