満足度とそれに支払う金額は正比例しない

高級なものを身に付ける人、
安いもので満足する人、
借金してでも高いものを買う人、
まったく身なりが気にならない人
ひとそれぞれ価値観が違います。
見栄を張る人は自由を奪われているのかもしれません。

タイ・バンコクの寺院

 お金もないのにローンを組んでまで高いものを買う人がいます。例えば、車とかバッグとかで他の人に差をつけたがる人がいますよね。お金の奴隷になってはいけません。もう働く必要のない億万長者なら、好きな物を好きなだけ買っても問題ないと思いますが、普通に暮らしている人が、生活していくのにあまり必要のない高価な物を買うのは、賛成できませんね。まあ、人生の選択肢は人によって違いますから、どうぞお好きに、と言った感じですかね。
 きょうのタイトルに合う私の考えを述べます。たとえば、洋服に100万円を使わないと満足できない人より、1万円の洋服でも満足する人を比べたら、どちらが満足度が高いと思いますが? 100万円も使わないと満足できないのは選択範囲が狭くなるし、人目を気にしすぎて窮屈な人生を送っているような感じがします。着ていく場所にもよると思いますが、普段着としてなら1万円もあれば、私的には満足できるでしょう。これは、ファッションにあまり興味がない私だから言えることかもしれません。以前、私が勤めていた病院の医者が、高級車に乗っていました。駐車場に並んだ車の中で、「すげぇ」と誰もが思うくらいに高そうでした。その病院には女医さんもいて、軽自動車に乗って出勤していました。ほんとうに車だけみたら、ちょっと離れたところにあるスーパーに買い物に行くための主婦の足代わりのように見えます。スーパーの駐車場に停めてあったら、ドクターが乗っている車には見えそうもないです。こんなことを言う私も人をレベル分けするくだらない人間だと言われそうですね。しかし、ベンツとかクラウンとかに乗っていたその医者が、女医さんの車が軽自動車であることについて悪口を言っていました。「あの先生の車、軽自動車なんだよ。もっといい車に乗ったらいいのに」と。高級車に乗っていたドクターは、お金もあるのでしょうけど、人からの評価を気にしているのなら不自由な人生だと思いました。一時期、時の人として有名になった大平光代さんという弁護士さんの愛車はチャリでした。車に興味がない私が言っても説得力に欠けるかもしませんが、人はみんな、その時、その環境で、最もふさわしいと思う事や物を与えられるんじゃないかと思うんです。映画俳優のジャッキーチェンさんも、大金持ちだから好きなものを一杯買い過ぎて、今はもう欲しい物がなくなったと言っているようです。お金の奴隷になっている人は、もっともっともっと支払わなければ良い物は手に入らない、という感覚になるのでしょうか。大富豪になればなるほど、また、人生経験が増えれば増えるほど、幸福を感じるハードルが低くなるような気がします。
 ほんとうに、飽きてしまうほどバク買いしてみたいですね。本当の幸福感は、金額では表せないほど大きくて、そして、気が付かないほど小さくて、目に見えないところに潜んでいるのかもしれません。今この時点で大切にしている人や物を想像してみてください。私たちが普段の社会生活の中で求めている高価なものよりも、断然大切な人や物が手元にあることに気付くでしょう。それさえあれば他には何もいらない、と言えるような人や物がありますか? ある、と言える人はすでに幸福な人です。

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