悟らなくてもいい__知っているだけでいい

「白骨の章」という浄土真宗の教えを知っていますか?
縁起でもないと思われる方はこのブログのページをスキップしてください。
人間は、朝元気に出かけて行ったのに、
帰ってくる時は、白骨になっているかもしれない、
というお話です。
身内を亡くして悲しんでいる人は、
悲しみに寄り添ってくれる優しい仏さまの声に聞こえるかもしれません。

生まれてくるという現象は不思議だと思いませんか?
今までいなかった人が現れるのですから、すごいことです。
逆に亡くなるという現象もすごい。
たったこの前まで、一緒に寝起きしていた人が、
どこにも存在しなくなるわけですから、不思議です。
大宇宙から見ると、生と死はひとつの変化でしかなく、
ほんの小さな出来事なんでしょうね。
怒りも、喜びも、悲しみも、
感情という名称の元、どんどん変化します。
人の心も、外の風景も、石ころだって、
すべては変化する。
つまり、安定しているものなんてひとつもないのです。
大丈夫と思っていたことが大きな悲劇になったり、
なんでもないことが幸せになる材料だったりします。
何が起こっても、
変化の一部が顔を出しただけで、
誰のせいでもない。
どんなに悲しいことが起こっても、
世界は知らん顔して変化を続行し続ける。
悲しんだところで、
怒ったところで、
世界は今まで通りに、
今まで通りの変化を続ける。
恋人と別れて、悲しみに沈んでいるとき、
猛烈な努力の結果が不合格だったとき、
どんな時も世界は知らん顔をして通り過ぎていく。
形のないものが形になり、
形のあるものが形を失う。
私たちはいつか必ず死にます。
どんなにショックな出来事も、
「死」に比べれば大したことじゃない。
火葬場に連れて行かれて、骨になるのですから。
何も怖いことなんてありません。
人間は「死」の直前に悟るのかもしれません。
もし、魂というものがあるのなら、
それは、生命の秘密をすべて知っている。
そのことを知っているのと知らないのでは大違い。
知っているだけでパワーが違う。

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