スピリチュアルな生き方とは

最近、YouTubeを観ると、
お金持ちになるためのノウハウものが人気ですね。
お金はあればあるほど有り難いものです。
ほとんどのものがお金で買えますからね。
お金持ちになるに越したことはないです。
しかし、思い通りにならないのが人生です。
お金のブロックを外しなさいとか、
正しい言葉を使うから
お金や良い運を引き寄せることができるとか、
そんなことはないと思います。
人生を自分の力でコントロールすることは出来ません。
おまじないでお金持ちになるなんてことがあれば、
引き寄せの法則でどんなものでも引き寄せられれば、
困る人は誰もいないでしょう。
では、どうしたら苦しみから逃れることができるのでしょう。

苦しみから逃れることはできない

 この地球上は不条理と不公平が幸福と背中合わせで存在するようにプログラミングされているような気がします。誰もが幸せになりたい、と願いながら日々の生活を送っています。どんなに努力しても、プログラムされた時期が来なければ何事も成就しないのではないでしょうか。
 ネガティブな言葉ばかりを使っている人が必ず貧乏になることはないし、ポジティブな人がお金持ちで幸せになるとも限りません。この世は一寸先は闇の世です。苦しい時には、その苦しみを言葉に出して誰かに聞いてもらうのは悪いことではありません。むしろ、その苦しみに耳を傾けて聞いてくれる人がいるのは非常にありがたいことです。苦境を乗り越えるのに、苦しみを言葉に出して述べたり、人に苦しみを聞いてもらうことにより、背中に背負った重荷が少しだけ軽くなるような気がします。ネガティブな言葉ばかり聞いていたら、聞いている人までネガティブになって運気が下がる、と言う人がいますが、それは他人の苦しみに寄り添うことが出来ない冷たい人です。他人の苦しみを聞いて差し上げて、その人が少しでも楽になれば、聞く側はそれだけ得を積んだことになると思います。あるYouTubeでは、人間が持っているたくさんの音叉について述べていました。悲しみに暮れている人は悲しい音叉を流していて、時間や距離に関係なく、地球上のどこかで悲しい音叉を流している人に同じような悲しい音叉で共鳴し合う。だから、ネガティブな波動と同調しないようにしたほうがいいと言っていました。人間は誰でも悲しい時も嬉しい時もあります。悲しい時に嬉しい音叉をだすのは不可能です。悲しい時に笑っていろ、というのは拷問です。人間は、悲しみがあるから次にやってくる幸せをかみしめることができるのです。悲しいという状態がなく、みんなが嬉しいことしか体験しなかったら、嬉しいという感情はどんな感情なのか分からないでしょう。闇も光もどちらも必要だからあるのです。闇があるから、そこに懐中電灯をつけると明るさを感じます。懐中電灯の光は闇があるからこそ、引き立つのです。つねに明るかったら、懐中電灯なんて必要ないでしょう。光という言葉すら存在しないでしょう。
 この激動の時代を生きている私達は、闇を経験しているのです。必ず光の時代が来ますから、闇の中にいる状態に耐えて、味わって、しっかり咀嚼して、来るべき光を待ちましょう。私達は、コロナの災難に遭い、厳しい不況の時代に生きることになっていたのです。

何かを取り除けばもっと幸せになるとは限らない

 私達が生活している中で、「あの人さえいなければいいのに」とか「お金がもう少しあったらいいのに」とか「車さえあったらなぁ」と思うことがあるでしょう。しかし、自分の身の回りにあるものは全てパーフェクトな状態に作られているような気がします。
 今この瞬間がその人にとってベストな状態なら、何も取り除く必要はないし、何も追加する必要もないのです。例えば、隣の人がかなり騒音を出すので、静かな所に引っ越した場合、もっとひどい隣人がいたりします。欲しい物が手に入らない場合は、その人には必要ないから手に入らないのです。必要になったら自然に与えられるようになっているのではないでしょうか。今の家庭、家、車、対人関係、昨日やってしまった奥様との大喧嘩に至るまで、必要なことしか起こらないと思えば、気が楽になりませんか。幸せになるための努力を一切するな、と言っているのではありません。「家族と一緒にバカンスに出かけられる車がほしいなあ」と思うのはいいことです。バカンス用の車を買うという台本になっていたら、買うことになるでしょう。買えない人は買えないことになっているだけのことです。それがその人にとってパーフェクトだからです。それでも、2年後には買えたりします。必要なお金はいつでも入ってくるようになっているような気がします。我が家も修理が必要な時期があって非常に高い金額を支払ったことがあります。不思議なことに丁度ピッタリのお金があったり、お金がない場合は入ってきたりしました。
 どんなことが起こっても、なんとかしなきゃ、と慌てないで、あ~あ、屋根が壊れた、あ~あ、エアコンが壊れた、と、起こってくる現象をそのまま受け止めてから対策を考えたらいいのです。みごとに必要な分だけのお金が与えられたりします。その時は、お金がもったいない、と思わないで、修理費があったことに感謝するともっとハッピーな気持ちになれます。

 今普通に生活できているのであれば、まだ来ていない未来を心配して、自分には十分なお金も物も与えられていない、と考えるのではなく、今与えられているものを喜んで使いましょう。本当にどん底に落ちている人は、あなたが登場する台本にそう書いてあるだけのことです。あなたのせいではありません。そのどん底を味わう時です。私は子供を連れて離婚した時、全財産が2000円になったことがあります(笑)。それでも大丈夫でしたよ。必ずひとつは抜け道があるはず。

↓ いつもクリックしてくださってありがとうございます。応援してください。

エッセイ・随筆ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA