予言 もっと強烈なウイルスの襲来か?

<お願い>
このブログは自己責任で読んでください。心身ともに弱っている方は読まないでください。へー、そんなこともあるかもねぇ~、と気楽に読むことができる方に読んでいただきたいです。インドの占星術師であるアビギャ・アナンドさん(14歳)が、これから世界に起こる現象について予言しています。なーんだ占いか、と気楽に読める人なら大丈夫です。

ラガーディア空港到着前のニューヨーク(飛行機の中から)

話題沸騰

今、インドの占星術師アビギャ・アナンドさんという14歳の少年の予言が話題になっています。光オンライン誌のInternational Business Timesでも取り上げられました。2019年の8月22日に投稿された動画でアナンドさんが予言していたことが今的中しています。興味のある方は、ユーチューブで、Conscienceと検索してみてください。コロナが発症することを日にちまで詳しく予言していて当たっています。

コロナの「コ」の字もなかったあの時

動画の内容は、2019年11月から2020年4月にかけてウイルスのパンデミックが始まり、世界中が経済的な危機状態になるという予言です。感染の状況も細かく予言されており、2020年3月29日から2020年4月2日にかけて悪化し、5月29日から終息していくと予言されています。6月末までは良い報告はない、という予言もあり、当たりそうな気がします。

今後の予言

2020年12月20日に新種のウイルスが発生し、2020年12月20日から2021年3月31日の間に世界同時多発的にスーパーバグが現れると予言。スーパーバグとは、どんな抗菌薬も効かない超細菌のことです。その特徴としては、わずか1~2日、あるいは数時間以内に、死亡するという恐ろしいものらしいです。感染経路が不明のウイルスであるため、予防しようがなく治療法もないと予言されています。

このような新種のウイスルが発生する理由

アナンドさんは、ウイルスの発生は人間の共業(ぐうごう)によるものだと言っています。共業とはどんなものなのでしょうか? 共業について調べてみました。共業は、誰もが共通して受ける因果のことで、これに対して不共業は、個人的な業のことです。業とはカルマのことですから、今回のコロナや、今度やってくるかもしれないウイスルは、人類全体が行ってきたことに対する反動というか、しわ寄せというか、神様からの借金の返済というか、そんな感じのものでしょう。

人類が目覚める時がきた

アナンドさんは、すべての人類が心から覚醒してやっとこの疫病を乗りこえられると言っています。また、対処法として、栄養と睡眠を十分に取ってメンタルマネジメントをしっかりやり、免疫力をつけることが大切だと述べています。

目覚めるとはどういうことなんでしょうかね? 聖書に面白いことが書いてあります。花婿を待つ十人の乙女の話です。十人のうち五人は明かりだけを持って花婿を待っていました。他の五人は明かりが消えないように入れ物に油をいれて、明かりと油をセットで持っていました。明かりしかもっていない乙女は花婿が来る前に眠ってしまいました。その間に花婿がやってきて、明かりと油を用意していた乙女たち五人と婚宴の部屋に入りました。油を持っていなかった五人は慌てて油を買って帰ってくると、ドアが閉まっていて、中に入れてほしいと頼んでも、花婿は「私はあなたを知らない」と言って入れてもらえなかったという話です。(マタイによる福音書25章1節~13節)聖書で言っているのは、物質的な準備を整えておかなければならないという意味ではなく、人間は「我」を捨てて、神と一体化していれば救われる、神を忘れて「我」のままに自分の私利私欲を通していれば救われない、という意味だと思います。私はクリスチャンではありませんから、間違っていたらごめんなさい。これは私流の解釈で書いています。

ノンデュアリティーでは、個人は生まれてもいないし、死ぬこともないとされています。すべては一つのエネルギーから発生しています。エネルギーと呼ぶのに抵抗があれば、神様と呼んでもかまいません。私達は、神様が描いた絵の一部です。すべてが神様の計画通りに進んでいるとすれば、私が私が、と自分の力でいろんなことができると傲慢になっている人間に警告を与えているのが、コロナかもしれません。神様は膨大な宇宙というキャンバンスにコロナという絵を描いたわけです。人間は大自然の中では無力です。あるがままの自分や他人や環境を全部受け止めて欲望をそぎ落とす時代がきているのではないでしょうか? 「我」というのは「自分」ということで、世界と自分を分離したものと認識することの始まりです。自分の皮膚の外側の世界は、自分とは異なる世界であって、自分とそれ以外は別物で、その別物が自分に影響を与えると考えるところからすべての苦しみが始まります。自分の痛みは他の人の痛みでもあり、その逆もしかり。すべてを自分の一部として認めると、罪を犯した人ですら、慈しみの目で見ることができるかもしれません。もし、その犯人が自分、もしくは、自分の家族であったら、どうでしょうか。誰でも場合によっては、その犯人と同じ行動をする可能性があるのです。今回のコロナに関しても、コロナにかかっているかもしれない人と大丈夫な人、というふうに人間を区別するところから不幸や争いが始まっています。近隣住民が、命を懸けて医療の最前線で戦ってくださっている看護師さんを自宅のマンションに入れない状態にしたという話も聞きました。はたから見ると、なんてひどい近隣住民なの! と思うでしょう。私はいい子ぶるのは嫌いです。私の近所にはコロナ患者の看護をしている医療従事者はいません。もし、そのマンションに私が住んでいたら、看護師さんを締め出すところまではしなくても、そうとう気を使うと思いますよ。ドアノブも暗号のボタンも触るわけですからね。自分がその立場に立ってなければ、その人の気持ちは分からないのです。嫌な近隣住民ね、と思う心がもう人を裁いているのです。看護師さんを入れない状態にした人達は、きっと、申し訳ないイヤーな気分でいることでしょう。オリンピックも、このままコロナが居座り続けたら中止になる可能性もあるという人がいます。オリンピックのために何年も体を鍛え続けてこられた人にとってはこの上もなく残酷なことです。一生懸命積み上げてきた努力が一瞬にしてゼロになることがあります。いろんな不条理の中で悪戦苦闘して生きている私達は何のために生きているのでしょうか。私達が、永遠の命というか、永遠のエネルギーの一部であることに、気づくために生きているような気がします。

私は無神論者ですが、南無阿弥陀仏と唱えれば気持ちが楽になります。時々、お寺の阿弥陀様の前に座って、何も考えずにぼーっとしていることがあります。阿弥陀様は、善人悪人を問わず、すべての人を平等に救うと言われています。全員助けてもらえるんですよ。とても楽な気分になれませんか? 仏様みたいにどんなに優しい人でも、胸に手を当ててよく考えてみると、悪いことをしていない人なんていませんからね。この無条件の愛に気付くことが私達人類の目覚めかもしれません。

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