すべての人に同じ時間が流れている

みなさま、こんばんは! 今午後10時です。
今日は私のパワースポットの神社に行ってきました。この辺はまだ時間がゆっくりと流れているようで、子たちが元気に走り回ったり、子ども連れのお母さんが散歩に来たりしていました。ここにもコロナウィルスがいるかもしれない、という危機感があまり感じられません。

テレビを観ると、悲惨な状況が差し迫っている割には、政府の動きはスロー過ぎるように感じます。息がつまりそうな情報からしばし逃れて、ローソンに行きました。カフェラテとサンドイッチを買って神社で過ごすひと時。空は、私達の苦しみなんか知ったことではないとでも言っているかのように、涼しい顔で世界を見下ろしているようでした。

木々を見ていると、自然の息遣いを感じます。職を失って生活費に困窮している人、コロナに感染して命の危機を感じている人、ちょっとだけ危機感を感じている人、まだ大丈夫だと高をくくっている人、自分さえ大丈夫ならいいと思っている人、など、どんな人にも同じ量の時間が流れています。スピード感のない日本人とハイスピードのアメリカ人はどんな時間の使い方をしているんだろう? 明日の食費に困っている人に早くお金を届けてほしいと思います。アメリカ人は、面倒臭い取り決めや書類などの処理は後回しにしてもいいから、とりあえずさっさとやってしまう国民らしい。私がかつてニューヨークに住んでいた時のアメリカ人の印象は、何をするのも早いということでした。歩くのもしゃべるのも物凄いスピードで、ついて行くのが大変でした。でも、それがニューヨークでは当たり前んなんですよね。今回のコロナへの対応もあんなにハイスピードで頑張ったのに、たくさんの方が亡くなりました。日本政府ももっとハイピッチで対応してもらいたいです。




すべてはノンデュアリティーだとしたら、コロナも宇宙エネルギーのひとつで、人間がコロナと戦っていることもすべて宇宙エネルギーの表現だということになります。もし、宇宙エネルギーが神様であるなら、どうしてこんな惨い出来事を起こして世界中の人を困らせるのでしょう? 『すでに愛の中にある』の著者大和田菜穂さんによると、この世で起こることはすべて幻想のようなものであって、ほんとうは何も起こっていないし、誰も困っていない、というのです。さらには、私たちは生まれてさえいない、と言っています。しかし、腕をつねってみると、確かに痛いし、私は実際にここに生きていると思います。このノンデュアリティーを人間の脳味噌で理解するのは無理というもの。それでも、にっちもさっちもいかないくらい困り果てた時、このノンデュアリティーが究極の状態から救ってくれるような気がします。なぜなら、私は究極に近い状態を体験したことがあるから。

珍しい葉っぱを見つけました。鮮やかな緑がきれいでかわいらしい。でも、よくみると、グロテスクで不気味にも見えるんですよね。そもそも、美しいとかかわいい、という基準は人間がつくった概念であって、醜いとか恐そうという感覚も後天的に親などから植え付けられたものなんですよ。私はあるものを「かわいい」と言い、他の人は「こわそう」と言う。このように「私」と「他の人」を区別して考えるところが人間界の特徴で、苦しみの根源になっています。私達は、このことを頭で理解できても、頭以外のどこかで理解できない限り、苦しみから逃れられないのです。ノンデュアリティーを億万分の一でもいいから理解できたら、楽になれそうな気がします。

 

お勧めの本は、トニー・パーソンズの『オープン・シークレット』、ネイサン・ギルの『すでに目覚めている』です。気が向いた人は読んでみてくださいね。
けっして深入りしないで、さらっと読むのがいいと思います。あぁ、こんな考え方もあるんだなぁ、といった感じで読むのがいいですよ。私の場合は、心がスーッと楽になりました。

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