自分さえよければいい人の末路・謙虚に生きる

みなさま、こんにちは!

コロナウィルスは私達をいつまで苦しめるのでしょう。この悪魔は人の体を攻撃するだけではなく、経済もボロボロにしています。仕事を失った人も多く、内定を取り消された人もいるそうです。外出できなくなった時を想定して、日本では米を買いだめする人が続出し、一時はどうなることかと思いました。海外では、残り少なくなった商品を巡ってスーパーで派手な喧嘩をする女性の映像をテレビで観ました。人間は、目に見えないほど小さなウィルスに簡単にやられてしまうほど弱いのです。

因果応報

生きていると、いろんなことが起こって、私達は絶え間なく不安にさらされています。不安どころか、すでに非常な迷惑を被りながら生きている人がほとんどだと思います。大なり小なり、苦しみがつきまとうのがこの人間界の性質です。テレビで観たのですが、コロナのお蔭で内定を取り消しになった女性は、その職場に入社するために大変な努力をしたと語っていました。入ってくる仕事がなくなったから新入社員もいらなくなったらしいです。この話を聞いた弁護士さんは、「内定取り消しですね。はい、分かりした」と言ってすぐに受け入れてはいけない、と言っていました。慰謝料を請求できる可能性もあるそうです。私が思うのに、この女性は、慰謝料をもらえるように戦ってもいいけど、そんな事に時間を使うよりも、早く次の就職先を見つけた方がいいと思いました。この就職難の中で、内定をもらうのは大変です。この会社は、女性のすさまじい努力についても面接で聞いているはずです。そんな人を内定取り消しにするのですから、たいした会社ではありません。申し訳なかったと謝って、次の就職活動のために少しでもお金を出してくれたのならまだ分かる。しかし、急に取り消したりするのは失礼千万極まりない。このようなことをする会社は、本当に人が必要になった時、人が足りなくて大切な取引先を失ったりするのです。それが因果応報というもの。

苦しい時こそ、今の自分に一番大切なことは何なのかについて、冷静に考えてみたいものです。ひどいことが起こるとパニックになりますよね。でも、そんな時こそ、冷静になって、自分を客観的に見ることが大切だと思います。




自分さえよければいい人の末路

コロナのお蔭で、今でもトイレットペーパーがなかなか手に入りません。どうしてこんなことが起こるんですかねぇ? マスクは全くないし、それを逆手にとって、高値でマスクを転売する輩が出てきましたよね。生き残るためには、危機を感じた時に、他人のことなど考えずに自分の得だけを考えるようにプログラムされている人がいるようです。しかし、このようなケースでも、因果応報が回ってきて、自分さえ良ければいいと思う人は、後で損をするようにできているのです。私の住んでいる地域で、ある問題が発生したことがありました。公園の横の私道にいつも車を停めて、約八カ月も道路を駐車場にした人がいました。私道なので警察も相手にしてくれません。私道の持ち主の不動産屋は知らんぷり。黒塗りのクラウンで、どの窓ガラスにも真っ黒なフィルムが貼ってありました。いかにもやばそうな車だったんです。私道であっても、みんなが通ってもよい道路になっているので、通学路として使っている人もいるくらいです。いったいどんな人が車を停めているんだろう? 私は近所の人と一緒に車の持ち主が帰ってくるのを待っていました。すると、想像していた以上に怖そうな男が車の持ち主だったんです。子ども達も公園で遊ぶことができなくなっていました。そこで、不動産屋に注意してもらうように署名活動をしたんです。当時は、小さな子供を連れている家族が多かったので、不安が大きくて怖かったわけです。横山さん(仮名)という人が扇動を切って署名活動をしてくれました。しかし、最初に署名活動に行った吉田さん(仮名)宅では、子どもがいないせいか、署名してくれなかったそうです。他にもお子さんのいない家庭もありましたが、私達の住む五班の住人は全員署名してくれました。車自体が、見るだけで震えがきそうな感じで、実際に持ち主もとんでもない輩だったので、私も含めて、署名するときは勇気がいりました。しかし、みんなで私達の地域を守らなければならない、と思いましたので、どの人も勇気を出して署名したものと思われます。吉田さんは、車の持ち主が怖かったのでしょう。子どももいないし、自分達には関係ない、自分の身に火の粉が降りかかるのは避けたい、人はどうでもいい、自分さえ安全なら、と思ったのかもしれません。ところが、吉田さんは、後で、署名しなかったのは、吉田さんだけだった、ということを聞いてからというもの、気まずそうにしています。いつも公園のあたりを散歩していたのに、まったく公園には来なくなりました。

これが因果応報の証明です。困っている人には優しくしてあげたいし、助けてあげたいものです。自分さえよければいい、と思っていると、自分だけが困る状態がくるのです。




下手に騒がず、映画を観ているかのように生きる

人間は小さなウィルスに簡単にやられてしまうほど弱いのです。謙虚になることが肝要。もし、あなたの会社に、威張り散らかして幅を利かせて横暴な態度の人がいたら、水戸黄門の映画でも観てるかのように観察していましょう。

ノンデュアリティーの考え方によると、すべては、起こるべくして起こっているようです。私達は、物凄く嫌なタイプの人の下で働くことになったり、非人情な団体に縁があったり、不良品を買う羽目になって損をしたり、嬉しいことも起こるけど、起こってほしくないこともたくさん経験します。ノンデュアリティーでは、「神」という言葉をあまり使いませんが、私は宇宙の法則が「神」なのだと思いたいので、あえて私は「神」ということばを使います。すべては神の許しなしには起こらないのです。最近、すべての出来事は私達を「無」に気付かせるために起こっているのではないか、と強く感じるようになりました。「無」=「何もない世界」と考えると、なんだか怖くなりますよね。でも、うまく文字に起こすのは難しいですけど、「無」は「有」でもあり、「平和」でもあり、「静謐」でもあり、「安心」でもあり、究極的には、「極楽浄土」とか「天国」につながるものだと思います。すべての不幸は、「私が困っている」という考えからきます。この「私」という存在すら、「無」と同一のものであり、本当は存在していないのです。困った事態は、流れる雲や想念のように、困った事態になったなぁ、と傍観していると、いつのまにか困窮状態を抜けているときがあります。

うまく表現できないけど、このノンデュアリティーについてほんの少しだけでも理解できたら、ほんの少しだけ楽になるような気がします。もっとも、この「無」の世界を理解するなんて人間にはとうてい無理ですからね。チラッとだけ香りだけでも感じ取ってみたいものです。

早く世界からコロナが消えることを祈るばかりです。

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