仕返しばかりを考えている人の末路

みなさま、こんにちは! 「怨憎会苦」という言葉を聞いたことがありますか? これは、嫌いなものと会わなければならない、という苦しみのことです。最近は、学校での体罰や職場でのパワハラなど、毎日ひどい人間と会っていなければならない苦しみが増えているように思います。いつか見たご近所トラブルでは、ひたすら他人の家の木の枝を切るおばあさんがニュースに出ていました。近所の人達は引っ越したいと思うくらい悩み続けて、確か十年位苦しんでいたと報道されていたように記憶しています。器物損壊を繰り返しているのに、警察は何をしていたんでしょうね。世の中は矛盾だらけで孤軍奮闘を強いられることが多々あります。どうしたらいいのでしょうか?

瀬戸大橋を車で走っている時に撮った写真です

人を攻撃する人は不幸な境遇にいる人です

家族関係がうまくいっていない人は、会社に来て部下をイジメ倒すのです。自分が不幸であればあるほど、弱い物イジメをしてしまいます。それが人間の本性です。私はそんなことはありません、という人もいるでしょうが、大なり小なり、不幸な状況に陥ると人は他人に八つ当たりしたくなる生き物です。会社の上司がパワハラをするのであれば、程度にもよりますが、できる限り接触しないほうがいいでしょう。命に危険が及ぶ可能性があるようなパワハラをする上司なら退職すべきです。相手を恨んで仕返しをしてはいけません。仕返しのパワーは非常に強く、必ず自分に返ってきます。我慢できるのであれば、パワハラ上司にどんなことが起こるか見てやりましょう。必ずや自分が他人に送った怨念はその人に返ってきますから。

 

他人の権利を奪いまくる人

以前、うちの近所に物凄く非常識な人が住んでいました。他人の玄関の前に車を平気で停めまくり、道路全体に自分の所有物を置き、迷惑を被っている一部の近所の人が「道が通れないのでやめてほしい」と丁重にお願いに行くと、「分かりました」と言いつつ、さらに道路に物を置き始める始末。その道路は私有地であったため警察は動かず、土地の所有者にお願いしても何も行動を起こしてくれませんでした。問題の人物の自宅には、プロレスラーのように大柄で、夜中でも大声で話すような非常識な人達が出入りしていましたから、土地の所有者は怖かったのでしょうね。同じ地域に住んでいるのに、直接的に迷惑を被っていない近隣住民は知らんぷりでした。みんな我が身の安全が第一だから関わりたくないのです。困っている人達は、なすすべもなく我慢していました。ところがある日突然、問題の人がいなくなったんです。風の噂によると、交通事後を起こしたようでした。入院したのか、交通刑務所に入ったのか、定かではありませんが、あれから一切姿を現さなくなりました。その無神経な男が住んでいた家には、今では優しい老夫婦が住んでいます。人の権利を奪うことばかり考えている人は、自分の権利を奪われる時が必ず来ます。

 

嫌がらせを趣味にしている人

人が不愉快になる言動を繰り返している人は、その行為をやめない限り、自分とはどういう人間なのかを悟る時期がきます。そのような人は弱い人を選んで嫌がらせをしていると思われますが、いつか、物凄い人に嫌がらせを仕掛けてしまい、とんでもない目に遭遇するように設定されているのです。例えば、あおり運転を趣味にしている人は、「よっしゃ、軽自動車に乗っているオバさんだから思う存分怖い思いをしてイジメてやろう!」と言って調子に乗っていると、そのオバさんがヤクザの女だったりするんですよね。この世は、修行のためにセッティングされた一種の地獄ですから、悟るまで恐ろしい事態が繰り返して起こり続けるのです。神様がサジを投げる、ということはありませんから、神様は何度でも間違った行動や考え方を治してあげたい、と思われるわけです。

 

困っている人を見捨てるのは罪?

学校や地域社会など毎日一緒に生活するグループの中に困っている人がいた場合、助けを求められても知らんぷりをするのは罪だと思いますか? 私は罪だと思いたいです。あくまでも、「思いたい」にとどまります。逆の立場を考えるからです。クラスにイジメられっ子がいて、その子の味方をしてしまうと、自分もイジメのターゲットになる場合を考えるとどうですか? 近所の人がヤクザに絡まれているのを助けようとして、困っている人と一緒になってヤクザに対抗しますか? 自分が困っていなければ、見て見ぬ振りをするのが人間です。たまたま、困っている人がA子さんであって、運よく自分ではなかっただけです。確かに、困っているのに、知らんぷりをされると腹が立ちますが、逆の立場を考えてみれば、理不尽なクラスメートや近隣住民も許してあげないといけない、という気持ちになります。優しすぎますか? 相手を許すというのは非常に難しいけど、角度を変えてみたら、その理不尽な人の気持ちが少しだけ見えてきます。

 

どうしたらいいのか?

困っているのに誰の援助も受けられず、孤軍奮闘して途方に暮れ、怨憎会苦の苦しみが永遠に続くように思える時があります。じゃあ、どうしたらいいのでしょうか。嫌な相手のいいところに目をやりましょう、とか、とにかく忙しくして嫌な人のことは考えないようにしましょう、とか、そんな綺麗ごとで人間の心はごまかせるものではありません。その嫌な人は、毎日会わなければならない人なんです。つねに、自分のすぐ近くにいる人なんです。私が思うのに、この人間界というところは、地獄界の一つで、御釈迦様の四苦八苦で言われているように、苦しみの多い世界であるということをまず認識することが肝要。苦しくて当たり前なんです。こんな嫌な人と同じクラス、または同じ地域で一緒に生活している、という事実を認めることが大切。そして、けっして仕返しをしない、と心に誓うこと。もはや人間の心を持っていない、と思われるようなひどい人に対しては、哀れみの心を持ちましょう。人としての感情や心を持っていないのですから、そういう人達がこの人間社会で生きていくのは非常に困難だと思われます。かわいそうな人達なんです。そして、いろんな苦しみがやってきますが、必ずひとつの苦しみには終わりがあると信じることです。自分への被害を最小限にすると同時に、苦しみとともに生きるのです。悪いことはいつまでも続きません。良いこともたまにはやってきますから、復讐は神様に任せて、静かに時が過ぎるのを待つしかありません。人間界はこんなものだ、と割り切ってしまうと楽になりますよ。

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