数字が悪魔に変わる時

みなさまは、「数字」をどのように受け止めていますか? 数字は値段になったり、買い物をした時のスーパーのポイントになったり、フィギュアスケートのようなコンテストの点数になったりします。野菜の値段は天候などによって変化し、テストなどの点数は問題によって点数が決まっています。つまり誰もが納得できる数字です。他方、曖昧な数字も存在します。感謝の気持ちを表すお礼の金額や舞台役者などへの投げ銭などがそうです。今回は「物の価値」を数字で表す行為について書いてみたいと思います。

この「お金2.0」(佐藤航陽著・幻冬舎)いう本は、以前スティーミットで紹介されていた本です。とても興味深いことが書かれていました。たいへん良い本を紹介していただきありがとうございます。特に「価値の3分類」という項目のところに非常に感銘を受けました。

この本によると、①有用性としての価値 ②内面的な価値 ③社会的な価値 という三つの価値があげられていました。有用性としての価値は、自分がどれだけ儲けられるか、に焦点を絞っています。内面的な価値は、自分の儲けにはならないけれど、ポジティブな感情を引き出してくれる価値です。例えば、かわいい猫の写真がツイッターにアップされれば、心が和んで、つい「いいね」を押したくなるわけです。社会的な価値は、個人ではなく社会全体の持続性を高めるような活動に感じる価値です。内面的な価値と同様に自分の利益にはつながらないけれど、土砂災害にあった広島の被災地にボランティア活動に行く行為に私達は価値を感じます。

現代の資本主義は、上記①の有用性としての価値を重視する傾向があり、内面的な価値と社会的な価値を軽視しがちになっているように思います。人間は他人に認められたいという承認の欲求を持っています。コンテストなどで入選するとか、賞金をいただくことにより、承認の欲求が満たされます。しかし、努力して業績をアップさせ、十分な信用も築き上げたにも関わらず認められない場合はどうでしょう? 例えば、ある会社に十年勤め、実力業績ともにナンバーワンなのに、いつまでたっても平社員で、後から入ってきた人が主任、係長、課長と昇進していった場合は、承認の欲求は無残に踏みにじられるわけです。

今回の「数字が悪魔に変わる時」というタイトルをより明確にするために、分かりやすい例を挙げてみましょう。これはあまり現実的ではない例ですが、分かりやすいと思います。ある人の結婚式に10人の友人が招待されました。その10人の中にあなたも含まれています。みんなで結婚式のご祝儀は3万円と決め、10人全員が結婚披露宴に3万円を持参しました。日本では、披露宴会場を去るとき、新郎新婦から引き出物が出席者に渡されます。9人の友人が素敵な同じ引き出物をもらい、あなたの引き出物だけが100円のチョコレートだったらどういう気分になりますか? 30,000円のご祝儀に対して100円です。まさに、数字が悪魔に変わる瞬間です。これは極端な例ですからこんなことは日本ではほとんど起こりえませんが、人はあまりにも失礼な行為に対してひどくショックを受けるのです。

しかし、普通の日常生活の中で自由に選択できる曖昧な数字はどこにでも存在します。その数字に人間性すら現れるように思います。私が小学生の時、クラスの生徒各々で担任の先生に誕生日のプレゼントをしようという話が持ち上がりました。私の家は貧しかったので、安いハンカチにチューリップの花を刺繍して先生にプレゼントしたのを覚えています。他の生徒は高そうな品物をプレゼントしていました。先生は、ありがとうのしるしにみんなにキャンディーをくれました。先生が私にだけ少し多めのキャンディーをそっとポケットに入れてくれたのを覚えています。嬉しかったです。時間をかけて一生懸命に刺繍を作った私の承認の欲求は満たされました。

人の作品などに評価をつけるというのはとても難しいです。しかし、①の有用性としての価値だけを重視するなら非常に評価しやすいと思います。お金持ちや地位の高い人と良好な付き合いをしていれば得ですから。いわゆる数字だけを重視したお付き合いですね。他方、内面的な価値と社会的な価値は、人によって好みが違いますので、好き嫌いで判断されてしまいがちです。例えば、新薬に関して、自分の見解を述べつつ、どういう特徴があるのか、また、どういう病気に効くのか、という情報があったとします。それは社会的に価値のある情報だと思うのですが、病気をしたことがなく健康な人にとっては、自分には関係ない、と思いがちです。そして、ワンコインショップの粘着シートの情報のほうが価値がある、と判断するのです。どんなに説明文が少なくても、粘着シートの写真だらけの情報でも、そこに価値を感じるわけです。それでも、それはその人の価値観なので、評価をする人には何の責任も義務もありません。しかし、一般的にみて価値のある情報を提供した人にとって、低い評価を受け取ると、精神的にひどいダメージを受けるのです。価値のある情報を提供するには、時間も労力もかかるのですから。

要するに、価値観の違う集団に所属していると、承認の欲求がズタズタになり、モチベーションがガタガタになるのです。例えば、年功序列が好きな会社では、どんなに努力しても、先に入社した年配の社員にはかないません。せっかく良いアイディアを持っていても、その会社では認められないのです。会社などのグループにおいて、トップに君臨する人には、誰を、そして、何を、大切な存在として扱うか、優先順位があると思いますが、価値観が全く違うところに腰を据えるのはつらいことです。

三つの価値、①有用性としての価値 ②内面的な価値 ③社会的な価値 がバランスよく評価される世界で活動したいものです。そのためには、得意とする分野を磨くことが大切だと思います。プロではなくても、一般人の中では演歌を歌わせたら誰にも負けない、とか、絵がうまい、とか、今からは何らかの強みを持っている人が頭角を現す時代ではないでしょうか? 社内で課長に昇格しても、辞めたらただのおっさんです。特に年功序列やコネで出世した人が退職すると、悲惨な結果になるでしょう。そして、①の有用性としての価値だけを重視している世界はいつか必ず崩壊するような気がします。

かなり回りくどい書き方をしましたが、スティーミットでは、①有用性としての価値、が非常に重視されている傾向にあります。もしかしたら私が仲間入りしたグループがそうであっただけで、他には素晴らしい投稿グループがあるのかもしれません。私が入っていたコミュニティでは、どんなに頑張っても良い評価をもらえないと思いました。時間と労力ばかりがかかり、私の承認の欲求はズタズタになるばかりでした。スティーミットでは他人の財布の中を覗くことができます。スティームパワーという仮想通貨をたくさんもっている人に、アップボウト(ツイッターでいうと『いいね』)が集まるようになっています。投稿者もお金持ちにアリコのように群がるわけです。私のように、いろんな国の人と交流したり、外国人から聞いたテクニックなどを使うと非常な嫉妬の攻撃に合い、とても傷つくコメントがきました。今度、機会がありましたが、スティーミットの強烈な仕組みについて書きたいと思います。あのような「お金持ちだけが生き残るサイト」は、衰退の一途だと感じました。

もっと伸び伸びと、気を使わないで、自由な発想でブログを書きたいものです。スティーミットでは良い人もたくさんいて、私のブログに嬉しいコメントもたくさんもらいましたが、今のところ、スティーミットへの投稿はやめておこうと思っています。皆さまが読んでくださっているこのブログには、本当に読みたい、と思っている人だけが来てくださっていると思います。利害関係がなく、不愉快な思いをすることもなく、楽しんで書けるこのブログに本格的に戻ろうと思っています。本日、最後に一つだけスティーミットに私の気持ちを投稿しました。

私の考え方に共感してくださる方がいらっしゃいましたら嬉しいです。また、全く共感できないという方がいても私は全く気にしません。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 



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