全国の受験生に勇気を与える話

私は37才の時、レギュラーの看護学校(いきなり正看護師のコース)
に入学し、三年間の学生生活を終えて、看護師国家試験に合格しました。
その学校を受験する人はほとんど現役の高校生で六倍の競争率でした。

当時、私は離婚して五歳になる息子を連れ、実家に帰っていました。
両親に看護学校の話をすると、「現役の高校生でもなかなか合格しないのに、
あんたが合格するわけがない! 受験勉強なんかする暇があったら、
コンビニでもどこでもいいから、は・た・ら・け」と言われました。

両親にこう言われても仕方ない、と思いました。なんせ、受験科目は、
英語、数学、国語でした。高校生の時、英語は得意でしたが、数学は
100点満点中、7点とか、12点とか、平気で取っていて、
いつも欠点。さらに、生物も大嫌いで、必ず欠点。
ボンクラ学校を出ているんですから。

看護学校の数学の過去問を見ると、因数分解とか、素数、とか意味不明な
言葉が氾濫していて、問題の意味すら分からない状態。国語の辞書で
意味を調べる始末。最悪!! ただのひとつたりとも分かる問題は
ありませんでした。でも、「なんか合格するんじゃなかなぁ」と、
思ったんです。

ついに、両親を説得して、受験勉強にとりかかりました。
受験まで六か月しかありませんでしたので、ほとんどの
時間を数学に使いました。びっちり六か月間、朝、五時に
起きて、夜中の零時まで正味13時間勉強しました。
お風呂に入っている時間、食事、睡眠、以外は全部
受験勉強の時間になりました。父は、私を鼻で笑って
いました。くそったれ!!



受験勉強中、近所で変な噂が流れていたらしいです。
家に引き籠って、仕事も行かず殆ど外出しなかった
せいか、母が近所の方に「お宅のお嬢さん、大丈夫ですか?
なんだか、朝、お経のような声が聞こえるんですけど、
なにか、宗教でも始められたんですか?」と言われていた
みたいです。朝一番で、数学の公式を暗唱していた
時の声が、お経のように聞こえていたようです。

元々、私の頭の中には数学というものは存在して
いませんでしたので、思い出そうにも、思い出せ
なかったわけです。中学生の不等式なるものから
始めました。挫折しそうになった時、
学習塾の門をたたいたことがありました。普通の
中学生とか、高校生が行くあの塾です。窓口では
「何歳のお子様ですか?」と聞かれました。
「子供じゃなくて、私が数学を勉強したいんです」
と言うと、塾の職員は、咄嗟に指でメガネを
かけなおすと、まるで、珍しい生き物でも
観察しているかのように、私の顔をマジマジと
見ていました。失礼な!!

結局、塾には行かず、すべて独学でやりました。
やっているうちに、国立大学のセンター試験の
数学の問題が九割り方、分かるようになりました。

このサイトを読んでくれた人だけに打ち明けます。
当時は、まだ知られていなかった引き寄せの法則を
私はすでに使っていたのです。

受験勉強をしながら、毎日、東の空に向かって手を合わせ、
目を閉じて、次のことを想像していました。

私は、○○バスに乗って、○○駅で降り、○○看護学校
に通っている。学校の門をくぐると、エレベーターに乗って、
十階のボタンを押し、大講義室で好きな席について、
教科書を開いている。ドクターの講義はおもしろい。

こんな感じで、毎日、瞼の裏に看護学生になっている
自分の姿を焼きつけていたのです。

合格した時、父に、合格通知をつきつけて、
「この紋所が目に入らぬか!」と言った時は、
気持ちよかったです。

元夫からの仕送りもなく、手取り13万の給料で怒涛に迷っていた私には
火事場の馬鹿力が働いたようです。

この続きはいつか書こうと思います。
看護師になってからの苦労は大変なものでした。

 

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