次は私の番かもしれない__誰かの犠牲で成り立つ世界

この世の中は、
不条理な環境の中にいる
犠牲者のお陰で
成り立っていると
言っても過言では
ありません。

人間は生まれた時から、
不平等です。
お金持ちの家に生まれる人、
貧乏な家に生まれる人、
生まれつきIQが高い人、
その逆の人、など。

誰でも良い環境に
生まれてきたいですよね。
でも、
この不平等は
人間には理解不能な
神の法則かもしれません。

どんな社会も、
誰かの犠牲のもとに
成り立っているように
思うのは私だけでしょうか?

小学生の頃、
私は背が高かったので、
体育のサッカーや
バスケットボールの
授業で
いつもゴールキーパーを
させられていました。
一度も
ゴールキーパー以外の
ポジションについた
ことはありません。

会社でも、
同じことが言えます。
誰もやりたくない仕事が
あっても、
誰かがその仕事を
やらなければ
ならないわけです。

みんなで平等に
その仕事を分けて、
やったらいいのに、
社長などのトップの人間は、
特定の職員ばかりに
その仕事をやらせて
いたりします。

不平等ほど、
人間に怒りを
与えるものは
ありません。

そんな仕事は、
職員を自ら退職に
追い込むための
ツールかもしれません。
「あなたを解雇します」
と言えばいいのに、
その職員は、
非の打ち所がないため、
嫌がらせ、という名の
ツールを使っているわけです。

次は俺か、私か、あなたの
番かと怯えて
働くしかないのでしょうか?

逃げるのも有りだと思います。
しかし、
どこかで
また同じ現象が
発生するように
できているのがこの世界です。

では、
どうしたら、
この不平等の世界で、
生き延びることが
できるのでしょうか。

それは、次のとおりです。

私たちは不平等の中で
生きているということを
悟るしかないように
思います。

今の不平等を受け入れるか、
その現状を去って、
新たな不平等に
チャレンジするか、です。

この考え方は、
非常にネガティブに
思えますが、
実は、
不平等を受け入れた上で、
生きていくことを
決心するのは、
とてもポジティブな
ことだと思います。

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