すべては神の愛であることを説明できる人間はいない__ノンデュアリティー

解決策がほとんど見込めず、
現状を受け入れるしか
他に方法がない人、
つまりドン底まで堕ちた人は、
ノンデュアリティーの考え方が、
ストンと腑に落ちる。

ノンデュアリティーの考え方は、
すべてがひとつのエネルギーから
発生しているという考え方です。
この世で起こっていること、
人、物、考え方、感情、
などのすべてが
ひとつのエネルギーであって、
そのエネルギー以外の
ものは一つもない、
という考え方です。

人生は幻覚であり、
あなたも私も
本当はどこにも存在しておらず、
故に、悩んでいることも
存在していない。
存在していない人間が
悩むわけがない、
という過激な考え方です。

ノンデュアリティーに関しては、
いろんな本を読みました。
人によっては
「神」という言葉を
使う人もいて、
宇宙エネルギーを
神と呼んでいるようです。

人間が「神」
という言葉から連想するのは、
愛、とか、善、とか、救い、
とかですよね。

神が「愛」そのものであるなら、
どうして殺人や戦争が
起こるのか説明できますか?

ぜーんぶ、すべてが、
神であり、愛であるなら、
殺人も神の愛の一部となり、
戦争も神が起こしていることに
なりますよね。
だって、ぜーんぶ神なんですからね。

イジメっ子にイジメを
させているのも神だと
いうことになります。

人間は、神と悪魔を
頭の中で分けていますからね。
つまり、
ノンデュアリティー(非二元論)
ではなく、
二元論なわけですよ。
神と悪魔の二元です。

神は存在しない、
と考えた方が、
私達の頭では理解しやすいでしょう。
だって、
起こることすべてが
神の命令だなんて、
人間の頭では説明できません。

でも、
人間から神様を
取ってしまったら、
特に今のこのご時世では
誰も生きていけません。
どんなに無神論者であっても、
人間は、頭のどこかで、
神を信じています。

空体験(くうたいけん)と言って、
自分がいなくなるという
体験談を本に書いている人が
います。
悟りの世界を垣間見た、
という素晴らしい体験
らしいのですが、
そこからまた二元化が
始まるわけです。
悟った人と悟ってない人
という二元化。

さらに宗教化していくと、
教祖様と信者という二元化が
発生するわけです。

肉体を持った人間である限り、
悟りはやってこないのではないですか?
悟る時というのは
死ぬ時だけじゃないですかね?

そもそも、
人間の分際で、
神を理解しようと
するのが無理なんですよ。

ノンデュアリティーの良いところは、
人生は幻覚を
見ているようなものだ、
という考え方でしょう。

<参考文献>
『オープン・シークレット』BYトニー・パーソンズ
『つかめないもの』BY ジョーン・トリフソン
『ホームには誰もいない』BY ヤン・ケルスショット
『誰がかまうもんか』 BY ブレイン・バルドー
『すでに愛の中にある』BY 大和田菜穂
『ただそのままでいるための超簡約指南』BY J・ジェニファー・マシューズ
『bing : the bottom line』BY Nathan Gill
『すでに目覚めている』BY ネイサン・ギル

 

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