不合格通知をどう解釈するべきか

人は期待すればするほど、
不合格通知にガッカリする。
しかし、力の限り頑張ったら、
期待してしまいますよね。
不合格という結果を
どう解釈したらいいと思いますか?

入学試験とか、入社試験とか、
どこかに所属するための試験に
不合格だった場合、
そこに縁がなかったのだ、
と考えるのは、かなり宗教的ですね。

私の場合は、
勉強が大嫌いで勉強せず、
ボンクラ学校に行ったわけですが、
勉強しておけば良かった、
と後悔しました。
因果関係の立場から言うと、
勉強しなかった=嫌いな学校に行った、
という因果応報が成り立つわけです。

ノンデュアリティー的な考え方では、
その学校、或は、その会社に、
縁がなかった、と考えるのではなく、
ただ、不合格になる、
という現象が起こっただけのこと。

第一希望の学校や会社に行きたい、
という希望がそこにあり、
第二希望、或は、第三希望の、
学校や会社に行く羽目になった、
という悲劇がそこにあるだけです。
悲劇だなんて大げさな言い方だけど、
大きく期待外れのところに行くことになると、
悲劇という言葉が適当かと思います。

この世界で起こっていることは、
タイトルが自分の名前である
山田花子物語を読んでいるようなもの。
未来にどんなことが待っているのか、
誰にも分かりません。

期待通りにいかないことが起こっても、
そうなることになっていたのです。
次にどんなことが起こるのか、
物語を読んでいくしかありません。

この世界は、
自分の力でコントロールできることなんて、
ひとつもないのです。
プログラムされていたことが
起こるだけで、
悪い結果が起こっても、
それはあなたのせいではありません。

無責任になってもいい、
という意味ではなく、
時には反省し、
時には、怒り、悲しみ、喜び、
遺伝子に組み込まれた通りに、
感情や思いが発生してきます。

誰でも人生の舞台で、
ヒーローやヒロインを
演じたいですよね。
すべてが自然発生している、
と、とらえることができ、
あなたにとって
不利益をもたらす悪人を
悪役を引き受けてくれた人、
という見方ができれば、
いろんなことが
許せると思いませんか?

私はこんな考え方は嫌いです。
人生は修行だ、とか、
あなたはあなたにとって、
ベストな位置にいる、とか、
人生は学びの場、だとか、
そんな考え方はキレイ事でしょ?

修行なんてしなくていいし、
不合格になって、
嫌いな第三志望のところに
行くことになってごらんなさい!
ベストな位置にいるなんて、
思えないじゃないですか?

そんなに複雑に考えなくていいから、
不合格という現象が起きた、
と考えればいいのですよ。

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