起こったことに飲み込まれてはいけない

友達に裏切られた時、
恋人と別れた時、
希望していた学校に入れなかった時、
会社を解雇された時、
病気になった時、
全てはイリュージョンだと思いたい。

人生に起こるすべては映画を観ているように、
すでに決まっていることだけが起こっている。
悲しいことがあって泣いている時、
悲しいことが起こっているだけであり、
泣いているあなたがそこにいるだけ。
何かをしたから何かが起こった、
と考えると悲しくなる時がある。
勉強をさぼったから試験に落ちた。
これは自業自得だと納得するでしょう。
でも、勉強を頑張ったのに不合格になる人もいる。
勉強を頑張ったというその人の歴史と
その人が不合格になった、という結果は
因果関係ではない、と思ったら気楽になれませんか?
別に無責任になれ、と言っているのではなく、
そういう小説を読んでいる、
と思ったら、というか、
私達はそういう小説を楽しんでいるんですよ。
人生のどこで、誰と出会い、どんな成功をして、
はたまた、どんな失敗をやらかして、
そこから、どんな感情を経験するのか、
すべては決まっているのです。
だから、次々と現れては流れ去っていく現実を
映画を観ているように受け止められたら
どんなに楽でしょう。
大変な目に遭っているのに、
客観的に自分を見つめるなんて
常人のできる技ではないかもしれないけれど、
人生という小説を読むのをちょっとだけやめて、
本箱に返してみる。
すると、そこに本棚があり、
食べようと思っていたチョコレートがあって、
冷めたコーヒーがあって、
なーんだ、私は小説を読んでいたんだ、と気づく。
私達は死ぬ時に、これと同じこと思うかもしれない。
すべてはノンデュアリティー!

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