持って生まれた性格は変わらない

自分の性格を変えようと思って、
いろんな自己啓発セミナーに行ったり、
本を読んだりして、
なんとか、自分の嫌な性格を改めたい、
と願う人は多いと思います。
どうしたら気楽に生きられるのでしょう。

 俺って嫌な奴だな、と悲観的になったところで、生まれてきた瞬間に決まっている遺伝子は変わりません。鳥肌が立つほど、数学が嫌いなのに、数学を大好きになれ、と言っても無理でしょう。食べ物だってそうです。食べず嫌いの人は別として、何度チャレンジしても嫌いなものは嫌いなのです。
 そもそも、遺伝時に組み込まれた性質はそんなに厄介なものかどうか考えてみてください。以前、私が知っている人でお酒が飲めない人がいました。会社の宴会でも絶対に飲まないのです。飲み会にいっても飲むのは必ずジュース。しかも男性! 会社の付き合いの世界では致命的だと思うでしょう。しかし、そう思う前に、自分ができることとでないことをみんなに理解してもらえる社会でありたいですね。ここでは、どんでもない遺伝子の人は考えないことにします。例えば、連続殺人をする人とか、やたらと人のものを盗むとか、神様はどうしてそのような性質を人間に与えるのか分かりません。自然界に起きる出来事は100%、起こるべくして起こっているという説があります。自分でコントロールできることは何もないのです。お酒をやめる、ということも、努力して自分がやめたと思っていても、実際には自分でやめたのではなく、なんらかのエネルギーが作用して、「○○さんがお酒をやめる」という現象が起こっただけです。いやいや、意思が強いかどうかの問題だ、という人もいそうです。その場合も、意思が強い遺伝子を持って生まれたか、意思が弱い性質で生まれたか、というところに繋がっているのかもしれません。一見、あまりよい遺伝子ではない性質を持っていたとしても、その性質にあった場所や人間関係が与えられるようにできているのではないでしょうか。ちなみに私は、チームワークで働くのが嫌いです。単独で商品を作って売る、といった個人プレイの方が好きです。人はみんな、宇宙エネルギーが行う適材適所の法則に組み込まれているので、何も心配することはありません。よい成績で有名大学を卒業し、大手の企業で働く、というシナリオは全ての人間に当てはまることではないので、何も悲観的になる必要はないと思います。そのシナリオの実現を願う必要もない。
 自分の嫌な性格は、何かには向いていなくても、何かには向いているのです。まず、自分を知ることが大切。そのままの自分で、力を発揮できる場所が必ずあるはずです。やりたくもない仕事のために、自分の性格を変えてまでチャレンジしようと思うから苦しくなるのです。そのままの自分でいてもОKなところが自分の居場所になるのです。たとえ、自分の性格を変えることに成功したとしても、それはただ仮面を被って生活しているだけで、一生涯仮面をつけたまま生きるのは辛いことです。

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