神様を思い出す旅

その昔、
日本人は森羅万象に神が宿っていると信じていた。
山の神、森の神、木々の神、
すべての現象は神の権化だった。
しかし、時が流れ、文明が発展すると、
人々は神を忘れ、人が作り上げた文明を
神のごとく崇めるようになった。
今、私たちは神を思い出すための旅をしているのではないか。

 現代人は目に見える世界がすべてであり、目に見えない世界を軽く見ている。本当の司令塔は目に見えない世界にあるのかもしれないのに。お金は人生を豊かにするためにあるのに、権力の象徴であったりする。ビジネスは人間の欲望をどれだけ満たすことができるのか、という点だけに焦点を当てている。今という時代は、人間の価値観が大きく変わる過渡期にあるような気がする。
 コロナはたくさんの企業を倒産に追い込み、人々は職を失い、神も仏もない世界だけがクローズアップされている。しかし、逆にそんな世界だからこそ、人類は強く神を求めるのだ。究極的に苦しんだ人には神しかない。過去のデータからみても飢饉が起こると争いが絶えない。今回のコロナ渦にしても、米やトイレットペーパーを買い占め、自分さえ良ければよい、という横暴な行動に出る人もいた。動物の世界のほうが仲間を思いやる心が強いのかもしれない。シマウマの軍団の中にお腹を空かせたライオンが登場し、シマウマを捕獲する時、一頭のシマウマは、たくさんの仲間を守るために自ら犠牲になってライオンに食べられる運命を受けいれるという。ライオンは捕獲した肉を家族と分け合って食べる。お腹が空いていないのにもう一頭捕まえて冷蔵庫に保管しておこう、などと考えるライオンはいない。必要な分だけを頂いて必要以上に食べない。動物の世界のほうが神の法則を実行できている。以前、犬同士の戦いを観察するというテレビ番組があった。二つの場所を柵で分けると、策の右側にいる犬と左側にいる犬が激しく吠えて縄張り争いをしていた。しかし、策を取り払うと、策の両サイドにいた犬は喧嘩をやめてサッサと退散した。動物の専門家によると、お互いを傷つけるだけの無益な闘いを避けているらしい。自然界の掟を守っているのだと思う。以前、これもテレビで観たのですが、人間のケースは犬以下ですね。たくさんの一軒家が軒を連ねている住宅街で、Aさんの家とBさんの家の境目について争いが起こった。普通の生活をするのにほとんど影響のないわずかな土地のことで、A宅がB宅に食い込んでいるとして、B宅の住人が毎日のようにA宅に嫌がらせとしていた。確か、10年以上も続いた嫌がらせの中で、B宅の住人がA宅の植木を切るという器物損壊の罪を犯してしまった。その後どうなったのかは覚えていない。引っ越したいと思いながらも、激しい嫌がらせに耐えたA宅の住人の勝利でしょう。人間は自己主張が強すぎるて、権利を主張しがちだ。
 これからも、健全なことと不健全なことが同時に起こると思う。しかし、上記に述べたように、人間も無益な闘いはやらない、という自然界のルールに従う時代がくると思う。食料が少なくなれば、みんなで分け合い、スーパーは余分な商品をたくさん棚に乗せるのをやめて、人間はコンパクトだけど他人を思いやる生き方をするようになると思う。

↓ いつもクリックしてくださってありがとうございます。応援してください。

エッセイ・随筆ランキング

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Monologue

次の記事

暗黙のギブ&テイク