誰も悟れない

悟った状態とはどんな状態なんでしょう。
調べてみると、
迷いや煩悩を捨てて生死を超えた永遠の真理を会得した状態。
とのこと。
意味が分からんですね。
だいたい、生死を超えるなんて、
人間ワザじゃないですし。
最近、コロナとの闘いをはじめとして、
苦しいことが多いなか、
さっさと悟って楽になろうとする人が急増しています。
私もその一人です。

あの世に行って帰ってきた人はいません。
あの世がどんなところなのか、
想像するしかありません。
そもそも、
生きた人間が、生きているまま、
悟るなんて無理でしょう。
人間の分際で神を知ろうとすると、
ロクなことはないと思います。
最近は、悟りに関する本がたくさん出ています。
しかし、悟ろうとすればするほど、
悟りは永遠の探求になって、
いらだちと焦りの奴隷になってしまう。
どうすれば悟れるのか。
それは神のみぞ知る、です。
時々、
二極化していない世界を
垣間見る人がいます。
その人は、自分は悟りを開いたのだ、
と勘違いして、セミナーなどを開いては、
教祖様みたいになったりします。
そして、さらに先生と学生みたいに、
二極化している自分に戻ってしまっています。
存在するのは、
宇宙全体を統括しているワンネスだけであり、
その他のものは何も存在しない、
机を見ても、
窓の外を見ても、
コーヒーカップを見ても、
ワンネスがそのような姿を表現しているだけ、ということに
気付いているか、気付いていないか、
が問題であって、
気付いていれば、
どんなことも、
一大事ととらえて慌てることがなくなるような気がします。
自分の身に降りかかってくる火の粉を、
まともに体に受けるか、
ヒラリと身を交わして火の粉をのがれるか、
ワンネスに気付いていれば、
少しだけ、
肩の重荷を軽く感じられるかもしれない。
必死に悟ろうとすればするほど、
悟りは遠ざかる。
苦しい時は、あ~あ、と言って、
好きなカフェで好きなコーヒーでも飲んでいるほうがいい。
お寺の説法を聞いても、
自己啓発セミナーに行っても、
何も解決しない。
ほんの少しだけでも、悟りに近づいた状態とは、
悟りについて勉強しなくなることかもしれない。
困ったことが起こっても、
しゃーないなぁ、と言って、
日常の生活をボチボチやっている人のほうが、
悟ろうとしている人よりも、
よほど悟っている場合があるのではないか。
最近そう思う。
すべてはノンテュアリティー

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