苦難を楽々と乗り越える方法

知っているのと知らないのじゃ大違い!
人生ストーリーに次々を現れる苦難を
楽々と乗り越えるには、
起こった事態を深刻に受け止めないことが肝要。

ノンデュアリティーを受け入れると、
人生が軽やかで楽になります。
ノンデュアリティー(非二元論)とは、
森羅万象、出来事、感情、などを含めて、
すべては一つのエネルギーでできている、
という宇宙からのメッセージです。

 人間にとって、どんな不幸な出来事もそのまま受け入れることは難しいと思います。例えば、大切な人との別れ、不治の病、事故などで体の機能が奪われること、など、起こってほしくない出来事を気楽に考えなさい、なんて無理ですよね。しかし、試験に不合格になったり、もめ事で不愉快な思いになったりするのは、かなり緩和されます。
 ノンデュアリティーは、すべての人間は本当は存在していないし、生まれてもいない、という一風変わったメッセージです。起こっている出来事も湧いてきた感情すら、宇宙エネルギーの表現であり、本当は誰も存在していなくて、広大無辺なエネルギーのみが存在していて、不幸な出来事もハッピーな出来事も誰にも起こっていない、ということです。すべての出来事は自分に起こった、と考えるところからすべての不幸が始まります。以前、車を運転していて、自分がエネルギーそのものであることを発見したことがあります。私が運転している、という感覚がなくなり車の窓から移りゆく風景を見ていました。その風景の中に、運転している私の姿もありました。私という存在が、見ている景色の中に溶け込んでいき、私は、植えてある並木になり、その葉っぱになり、道路になり、車になり、空気になり、とにかく見ているものすべてになったんです。風景になってしまった私は、運転していないにもかかわらず、無事に帰宅して、事故にも遭わず、いつの間にか自宅の玄関を開けようとしていました。同じような経験を小学生の時も経験したことがあります。このような経験を空体験という人もいます。愛に満ちた素晴らしい世界を見たという人もいます。しかし、私の場合は、恍惚を感じるようなことはなく、ただ単に周囲の風景を見ていました。もしかしたら、人間は、目で見ているようで目で見ていなくて、鼻で匂いを嗅いでいるようで鼻で匂いをキャッチしているのではなく、鳥の声も耳できいているのではないかもしれません。肉体のない私は、周囲の状況を見ていましたし、聞いていましたから。死んでしまったら、どうなるのかチラッとだけ神様が見せてくれたのかもしれません。私の父は五年前に亡くなりましたが、どこにいるのか分かるような気がします。今見えている風景の「ここ」にいるのです。すぐここです。子どものころから神秘的な体験が何なのか知りたいと思い続けてきました。そして巡り合ったのがノンデュアリティーに関する本です。ネイサン・ギル氏の『すでに目覚めている』という本の中で、ゴタゴタしたもめ事の渦中にいるよりも、そこらへんのコーヒーショップにでも行ったほうがいい、人生はただの娯楽だから、というような内容がありました。ネイサン・ギル氏は空体験をしていて、どんなことも本気に受け止めず、映画を観ているようなものだ、と言って不動心でいたようです。私がまだ子供だったころ、私だけが生きている生身の人間で、地球上の残りの全部の人は幻想かロボットで、何か大きな存在が私を見ているような気がして強烈な孤独感の中に落ちていきました。その謎がノンテュアリティーで解けたような気がします。最近は、生活のいろんな場面であまり期待しなくなりました。すべては、必ず変化していくので、不愉快な出来事を流れる雲のように客観視できるようになりつつあります。不愉快なことを言ってくる人がいたら、不愉快な言葉がただ単にそこにあるだけで、不愉快に思っている人は誰もいません。不愉快なことを言った人に関しても、そのようなことを言う、という現象が起こっただけです。私自身と不愉快な事とは何の関係もありません。かといって、相手を不愉快にさせたことを反省する必要がない、とまでは言い切れません。この世では、道徳的に考えてまずかったことは反省して直すべきだというプログラミングがされていますから。脳にプログラミングされている行為が自然発生するのです。二極化が始まる、と世間で言われていますが、かなり昔からすでに人類は二極化しています。たとえば、悟った人と悟れなかった人に分類している人がいます。私が思うのに、人類が生きたまま、悟りを得るのは不可能だと思います。空体験をしたからと言って悟ったことにはならないのではないですかね。肉体を持った人間が悟ることはないでしょう。でも、このノンデュアリティーのメッセージを少しだけでも分かったら、気が楽になると思うのです。
 人間であるかぎり、苦難はずっと続きます。いろんなことを深刻にとらえすぎると苦しくて死んでしまいたくなる人もいます。ノンデュアリティーのメッセージを少しだけ理解して、苦しみを乗り越えやすくすることをお勧めします。ただし、これ(ノンデュアリティー)が全てだと思わないことが大切です。ノンデュアリティーのメッセージは膨大な宇宙エネルギーのほんの一部にしか過ぎないような気がします。そのエネルギーを神と呼んでもいいです。そもそも、神は人間の頭では理解できないのです。

 

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