心にしみるメッセージ__五木寛之の名言

こんにちは!
日本人は特に人間を区分するのが大好きです。
お金持ちと貧乏人、
若い人と老人、
女か男か、
美人はブスか、
会社の採用試験では、
とにかく若い人を選ぶ。
年を取った人は価値がない、
という思想が強い。

 

五木寛之氏の名言

「食べているだけ」「生きているだけ」というのは、そんなに価値のないことでしょうか。

 特に若い人はこんな名言にはあまり興味を持たないかと思います。食ってウンコしているだけの人間なんて人間じゃない、という人も多いでしょう。でも、世の中には、食べて生きているだけしかできない人だっているのです。
 私が看護師として働いていた時、障害を持っている方やお年寄りの方の看護をしていたことがあります。病気や障害のため、寝たきりの方もいらっしゃいました。見た感じは、ほんとうに食べて生きているだけのように見えます。それでも、レクリエーションやお誕生日会がある時には、スタッフがレクリエーションルームにベッドごとお連れすると、患者さんは溢れんばかりの笑顔で過ごしていらっしゃいました。人間は与えられた環境の中でしか人生を謳歌できません。たとえ健康であっても、できることとできないことに縛られているのが人間です。食べることも人生を楽しむ事であり、生きているからこそ感じられること全部が価値のあることだと思います。いろんな人生を生きた方々の体験が波動として人類共通の潜在意識の中で生きているような気がします。戦時中に食べ物がなくて、子供の頃は空から降ってくる雪を見てあれがお砂糖だったらなぁと思っていました、と語った患者さんの「生き抜く力」がひしひしと私の心に伝わってきたのを思い出します。障害があるため、生まれた時から寝た切りの人もいらっしゃいます。その方は、他の人達の代わりに病気を引き受けてくれたのです。私達が健康でいられるのは、障害を引き受けてくれた人のお蔭だと言えます。以前、『四分の一の奇跡』というタイトルの本を読んだことがあります。強烈な感染病にかからない遺伝子をもって生まれた人は、往々にして障害を持って生まれてくるというのです。人類が滅亡しないために、強い遺伝子を持つ人がいて、その人はその遺伝子を持つ代わりに障害を引き受けているらしい。生まれながらに障害のある人は生きているだけで人類を救っているのです。自然の摂理はあまりにも残酷ですが、愛で満ち溢れていると思いませんか。自然の摂理を神と呼べるなら、私達の経験、思い、感情、行動、すべてが神の愛の表現だと考えられます。人間にはとうてい理解できないほどの精密かつ神秘の法則が私達の体の中に溶け込んでいます。私達が、毎日、自分の手で食べ、自分の足で歩き、自分の声で話し、自分の目で見ていることはあたりまえじゃなくて奇跡なんですよね。
 人として何か世の中のためになることをしたい、生産的な人生を送りたい、と願うのはごく自然なことです。しかし、人間は、生まれながらにして、または、突発的な何かによって、今まで普通にできていたことができなくなることがあります。そんな時は、この五木寛之氏の言葉を読んで、人生の価値は生きていることだということを思い出しましょう。

 

人生とは味わうもの

 誰にでも出来ることと出来ないことがあって、勉強したくても家庭の事情で学校に行けない人、どんなに頑張っても才能がなくて認められない人など、「努力にまさる天才なし」なんて言葉はウソです。それでも、どんな人生でも味わうことに意味があるのです。
 ノンデュアリティー(非二元論)の考え方によると、この世に存在するすべての物や事が宇宙エネルギーそのものであるという。その宇宙エネルギーを神と呼んでもいいと思います。私達の肉体も私が今使っているパソコンも椅子もテーブルも全部宇宙エネルギーそのものです。だから私達が神様を見ようと思っても見えないわけです。手を伸ばせばすぐそこに神はいるのに、近すぎてみえない。そう、海の波が海を見ることができないように私達は神を見ることはできないのです。でも、神を感じることはできます。私が今たたいているキーボードから伝わってくる指の感覚も神だと言えます。つまり、何が言いたいのかというと、どんなに辛いことが起こっても、嬉しいことがあっても、全部が神の表現だということです。だから、突然無職になってひどい目にあっても、仕事もせずに何年もニートのままでゲームばかりしていても、鼻血がでそうなくらい働いても、その経験も、その経験によって生じる感情や葛藤も、全部人生を味わっているということです。私はどんな事態でも味わうことに意味があると思います。起こったことすべてが、真我に目覚めるための誘いかもしれないと思うからです。どんなことがあっても目を背けないで味わう、なんて普通の生身の人間にはとても難しいことだとは思います。しかし、「味わう」というところにとてつもなく貴重な何かが見え隠れしているのを感じます。
 どんなにどん底を味わおうとも、すべての体験が救いの道に通じていると信じていたいです。自然の流れに逆らわず、目を背けず、生きている事そのものに価値を感じて、これからの人生をもっともっと味わい深い人生にしたいものです。

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