宗教化した自己啓発セミナー

こんにちは!
最近は様々な自己啓発の本やセミナーが行われています。
自己啓発とは、自分の能力を高めたり、
精神的な成長を目指すことです。
セミナーや本では、
どのように考え、また行動したら
自分を高められるのか、
様々な訓練が紹介されています。

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正義の味方にならないように!

 セミナーのやり方にもよると思いますが、セミナーを受ける人の受け止め方によっては、正しいか、間違っているか、という考え方に偏ってしまう人がいるようです。そういう人はあまりにも正論を振りかざし過ぎて嫌われる傾向がありますから要注意です。
 道徳的に考えて、明らかに人が不快に思う言動は別として、正論を言うと相手は自分の考え方を否定されたような気分になり、人間関係がギスギスしてきます。自己啓発セミナーに参加して、他人の気持ちが分からないままでいるのは本末転倒です。自己啓発は自分を高めると共に相手への思いやりにも関連していると思います。会議だらけの会社で、数字を並べるだけの報告会議を中止したい、という提案をしても却下される可能性が高いのです。先に述べたように、この提案を提示された人は、「こんな馬鹿みたいな会議をいつまでやる気なの?」と言われたような気分になるのです。「その会議は分かりやすくてとてもよい会議ですが、今はもうみんな仕事に慣れてどの数字もよく把握しています。会議を開くよりも、中止して他の課題について考えたほうがメリットが大きいと考えています。もし、またその会議が必要になった時には、元にもどしたらいいと思います」という感じで、相手を尊重し、思いやりと優しさの心を持って話し合いができたという経験の方が自己啓発に繋がると思います。
 セミナーよりも実際の経験のほうが役に立つような気がします。実際に、人にイヤな思いをさせたり、自分がイヤな気分になることによって自己啓発されるのです。宗教みたいに、神は正しいものを救う! などと洗脳されないように気をつけたいですね。

やたらと目標を決める人

 自己啓発本などが大好きな人がやりがちなことは、目標設定をしてクソまじめに目標にむかって邁進することです。「だめだ! こんなことをしちゃぁ」「こういう場合はこうしなければならない」「こんなことをしたらきっとああなるだろう」などと言って、クソまじめに目標達成に向けて全力投球するから忙しくてしかたないわけです。
 よく宗教団体で行われているのは、○○すると地獄に落ちる、とか、天罰がくだる、などと言って、伸び伸びとした心が失われていくということです。余談ですが、個人的に地獄はないと思っています。あまりにも善悪にとらわれていては、選択の自由も失ってしまうということです。「~しなければならない思考」は自分の行動を制限してしまいますし、相手にも窮屈な思いをさせてしまいかねません。さっきの話と同様に、極端に道徳を逸脱する範囲以外では、絶対に~すべきと断言することによって、自分=啓発セミナーの講師的な感じになってしまい、まるで教祖様と弟子みたいになってしまいます。それどころか、自分でやったことは自分で責任を取らなければならない、と主張して本当に困っている人に優しい言葉ひとつかけない人もいます。「あなたがしっかり勉強をしなかったから仕事も見つからないのですよ。ご飯が食べられないのは自業自得です。そのまま餓死しなさい」というのは、あまりにも冷たいですよね。極端な例ですが。
 もっと自由に、日々の暮らしの中で、自分も周囲の人もハッピーに過ごせるためにはどうしたらいいのか、自分の思考や行動を自分でよく観察して、楽しく過ごせるように自分を高めて行きたいものです。自分を観察していると、とてもひどいことを考えていたりして、ハッとすることがあります。

 あ~、いい一日だったなぁ、と笑顔で寝床につくためには、どんな生き方をしたらいいんでしょう? よーく自分を観察していると、けっこうとんでもなく酷いことを言って家族を困らせていたりします。いまだにこの年になっても反省ばかりしています(苦笑)。

 

 

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