人間は間違える生き物である

過ち

人間は間違える生き物である。
どうしようもなく起こってしまう過ち
いや、錯覚かもしれない。
他人から見たら小さな過ちでしかない事が
自分には、とてつもなく大きな過ちに思えてしかたがない。
どうしたら、気楽になれるのだろうか。
こんな時は、
天が人間にだけ与えてくれた「自由」を使おう。
大いなる宇宙の力が愛と言う名であるなら、
過ちを過ちと自分で認めて謝ればよい。
私の錯覚でした。ごめんなさい。
人生は、錯覚の連続である。
何が真実で、何が誤っているのか分からなくなる時がある。
こんな時でも、確かな事が一つだけある。
それは、「間違えた」と思っている自分である。
間違えてしまった自分を認めよう。
その後は、
間違えた事を後悔するのではなく、
天に謝ればよい。
過ちは、雲のように、通り過ぎて行く。

シャボン玉

人生はシャボン玉に似ている。
生まれてきては呆気なく消える。
神の吐息によって無造作に現れるシャボン玉。
あるものは、何かにぶち当たって消える。
また、あるものは、すぐに自滅する。
現れては消えるシャボン玉を見て、
神は微笑しているのか?
あるいは、嘲笑しているのか?

 十 分

人はなんと欲張りなのでしょう。
もうバッグには入らないのにもっと入れたがる。
もう食べられないのにもっと食べようとする。
もう限界なのにもっと勉強しようとする。
そんなに勉強して賢くなってどうするのか?
そんなに何もかも手に入れてどうするのか?
神様が人間に持たせて下さる量は、
すでに決められている。
今、手元にある物、
失ってしまった物、
今から与えられる物、
全てに感謝したい。
「十分だ」とつぶやこう。
こんな風につぶやいて、
笑っている人が一番幸せなんじゃないかな?

 

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