光と闇は交互にやってくる

みなさま、こんにちは!
宇宙は絶対的バランスを永久に維持するんじゃないですかね。
コインには表と裏が必ずあるように、
世界は善と悪、
優しさと厳しさ、
貧困と富裕、
などの両局面で成り立っています。
よい事ばかりに満ち満ちた人生を歩める人はいません。
悪い事ばかりも続きません。

京都祇園 八坂神社内 商売の神様 祇園えべっさん

光は闇の中で大活躍

暗ければ暗いほど、光は闇の中で役に立ちます。逆に言うと、闇が無ければ光は必要とされません。人間関係でもそうです。善人ばかりの中で暮らしていると、退屈して人間的成長は無いかもしれません。白い紙の上に白いペンで絵を描いても面白くないですよね。その逆の黒い紙の場合も同様です。善と悪は宇宙の法則に乗っ取って絶妙なバランスで存在しているのです。そもそも、善と悪は人間が決めた概念であって、宇宙的視点でみたら、善と悪は同じものだともいえます。人間の目から見たら、なんとも不条理としか言えないような現象が起こるのがこの世界です。それじゃあ、困っている人はいつまでたっても救われない、という人が出てきそうですが、そんなことはありません。一人一人の人間の中にも、宇宙の絶妙な法則が働いていて、人間はみんなその法則の通りに行動しているのです。ピンチを乗りこえたり、またすぐにピンチになったり、ラッキーチャンスを掴んだりします。悪い時期を乗りこえたら、飛躍的に良い時期が必ずやってくると信じています。

今までの、人生を振り返ってみてください。ピンチになって、もうこれで最後だぁ、と思った時に、神様がちょっとだけ生きるための手段や方法を与えてくれています。今回のコロナによる大災害が、ラッキーチャンスへのヒントになると信じています。

 

すべての存在から境界線を取り去る

私ももういい年になりました。昔と今を比べてみると、確実に世界はよい方向に向いていると思います。江戸時代は、セキュリティーと言えるような便利なものもなく、刀で刺し殺されることもしばしばありました。殺人事件が起こっても、指紋を調べるわけにもいかず、冤罪も多かったんじゃないですかね? 私は江戸生まれじゃないですよ(笑)。今は、痴漢行為も処罰されるようになりましたし、教育委員会もイジメの問題に向き合うようになりました。しかし、犯罪はゼロにはならないし、いつの世にも、どこでも、イジメはなくなりません。良い人もいれば悪い人もいるのです。世界が、自分と同じ性質の人間だらけになったら、世界は成り立たなくなってしまいます。極端な言い方をすれば、悪い人がいるから、良い人が引き立つのです。水戸黄門を観たらよく分かりますよね。古すぎますか?(笑)それに、悪人を演じ続けていた人が、何らかのきっかけで善人になったり、善人のはずだった人が、突然悪人になったりもします。私達は信じていた人に裏切られて非常に悲しい経験をすることがあります。逆に、大悪口を言って非難していた人が、困ったときに助けてくれて、非常に恥ずかしい思いをしたりもします。宇宙の法則には時間という概念がありません。私達の身の回りに起こる因果関係は時間軸を背景にして起こっています。つまり、宇宙の法則には時間がないわけですから、因果関係は本来は存在しないことになります。どんな現象もただ単に起こっているだけです。誰のせいでもありません。そう思うとなんだかとても気楽ではありませんか? 無責任になってもいい、ということではありません。自分の子どもが他人に迷惑をかけても、親に責任はない、と言っていいはずはありません。社会生活を営む私達人間には環境をよくしようとする常識という遺伝子が流れていますから。しかし、コロナのせいで、今まで一生懸命会社のために働いてくれた人を解雇しなければならない場合においては、解雇する会社側が悪いのではありません。世界的なコロナ感染という現象が起こったのは誰のせいでもありません。解雇する側が、申し訳ない気持ちになるという現象は仕方ないことです。

世界は文化的でよい時代になりつつあると思いますがが、宇宙の法則は筋金入りで、一歩も譲らないようです。人間にとってすべてが完全によい環境になる時は来ません。しかし、人類全員が、ワンネス、つまり、一つのエネルギーから発生した同じ仲間であることを意識して、他人と自分の間に境界線をひく癖をやめたら、もっと暮らしやすくなると思います。

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