損得勘定を受け入れる!

みなさま、あけましておめでとうございます。

今、ノンデュアリティー関連の本にはまっています。「悟る」ということについて考えるのは面白いですね。私も、人生長く生きているといろんなことがありました。私は不幸だ、と思った事もたくさんあって、そもそも、人はどんな時に不幸だと思うのか、と深く考えるようになりました。人は、他人との比較や損得勘定をするときに不幸を感じるのです。こんなことを考えていた時に出会ったのがノンデュアリティーです。ノンデュアリティーとは非二元論のことで、すべては一つのエネルギーから発生しているという考え方です。「考え方」という言い方は適切ではないかもしれませんが、今のところ、他に言い方が分からないので、とりあえず「考え方」という言葉を使っておきます。すべては無から発生して無に帰るという考え方です。それによると、私達は、生まれてもいないし存在さえしていない、ということになるそうです。この考え方を使うと、人生がシンプルになって、物事を深刻に考えなくなります。よろしかったら私のエピソードを聞いてください。

<騙されたかもしれない>

一度疑い始めたら、何もかも疑わしくなることってありませんか? 私は、去年購入した物の調子が悪くて購入先のお店に修理を依頼しました。ある機械の部品を交換してもらったのですが、今も直っていません。そこで再度修理を依頼しました。再修理の後、これで調子をみてください、と言われましたが、まだ直っていません。説明を聞くと、どうも、依頼した部品を交換していないような感じがしてなりません。修理する人は以前もミスをしているので、ますます疑わしくなります。しかし、今のところ、手を切るわけにはいかないお店なので、嫌な人間関係を作りたくないと思っています。他のお店で修理してもらうと、お金がかかり過ぎるし、お金を払ったのに直ってないのも腹が立つし、どうしよう? 本当に部品を替えたのかどうか知りたい! と頭の抱えていた時に、思い出すのがノンデュアリティーです。起こった出来事は、そのように起こるようになっていたのです。そのお店は部品代金を取っておいて実際には部品を交換しておらず、直したようなふりをして、ういた部品代を猫ババしているのかもしれません。症状が直っていないわけですから。私には機械を開けて中を確かめる技術はありません。昔の私なら、不正を徹底的にあばいてやる! と思っていきがっていたかもしれません。

<誰かが得をして私が損をしただけの話>

私がまだ、看護師をしていた時の話です。強烈な印象で記憶に残っている看護師のAさんがいます。普段は、大人しくてどこにいるのか分からないような静かな看護師さんでした。その病棟には、みんなが大嫌いな看護師のBさんがいて、その人のおかげでどんどん看護師が辞めていくという悲しい状況が続いていました。ある日のこと、休憩室で、あの大人しいAさんがBさんに大声でくってかかっていました。朝出勤してきてすぐの出来事でした。なんと、あの恐ろしいBさんが仕事を放棄し、尻尾を巻いて帰っていったのです。Bさんの前にでたら、怖くて誰も何も言えなくなるのに、あの大人しいAさんがBさんを言い負かすなんて誰が信じられるでしょう? こんなにも正義感の強いAさんは、ひとたび怒るとすごいパワーを発揮するのですが、非常にあっさりした人で、恐るべき楽天家だったのです。仕事が終わってAさんとコーヒーを飲みに行ったことがありました。なんとAさんは10万円以上入っていた財布を落としたというのです。交番に行っても誰も届けていなかったのであきらめたと言っていました。その時の彼女の言葉が非常にあっけらかんとしていて、今でも記憶に焼き付いています。「誰かがその財布を拾って喜んでいるのよね~。私は悲しいけど」といってニッコリしているではありませんか! 私なら、交番に何回も電話するかもしれません。心当りのところも探すでしょう。

<何事も深刻に考えない>

つらいことがあった時、すべてはノンデュアリティーだと思って乗り切るのもいいものです。ああでもない、こうでもない、といろんな思考が生まれては消えていきます。詮索すればするほど、疑えば疑うほど、悩みは重く心にのしかかり、気分が悪くなるだけです。すべての起こってしまったことは、そのように起こることになっていたのです。あの時、ああしておけばこんなことにはならなかった、と思っても、起こることはたった一つのそのことでしかありえなかったわけです。

私の場合も、正確な修理がなされたかどうか、他のお店に行って大量のお金を払って徹底的に調べてもらったら、真実が判明するかもしれません。しかし、今しばらく付き合いをしなければならないお店と不仲になったら、今よりももっと厄介なことになりそうです。不正があったとしたら、まさに、誰かが得して私が損をしただけの話なんです。これは私の想像でしかありませんが、不正があったか無かったかなんてどうでもいいじゃありませんか? この世界の不条理をそっくりそのまま受け入れて、何も深刻に考えないで気楽に生きているほうが幸せじゃないですか?

<悟るなんて無理>

何も深刻に考えないなんて、そんなの無理! そうですよね。例えば、生活がかかっているのに仕事を失うとか、家族がいるのに思い病気にかかる、とか重大な問題もたくさんありますから、すべてに対して気楽に構えるなんて無理です。でも、ノンデュアリティーのほんのわずかな部分だけでも感じられたら、少し気が楽になるように思います。

 

ノンデュアリティーに興味のある方は、ここに代表的な本を書いておきますので読んでみてください。自分には合わないと思ったら気楽に読むのを止めたらいいし、少しでも腑に落ちるところがあったら最後まで読んだらいいと思います。こういう考え方もあるんだぁ、と思う程度でいいと思います。本家本元のトニー・パーソンズが書いた本とは違うことが書かれている偽物の本も出ているので気を付けてください。

 

・『オープン・シークレット』by トニー・パーソンズ
・『つかめないもの』by ジョーン・トリフソン
・『ホームには誰もいない』by ヤン・ケルスショット
・『誰がかまうもんか』by ラメッシ・バルセカール

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