続7・神様からのメッセージ

「それ」はすべてである。
「それ」は隙間なくビッシリと現れている。
あなたと私の間には
何もない。
空と雲とあなたの間にも
何もない。
私達には
見えるものと見えないものがある。
しかし、
どんなものも、
無限の空間の一部である。
頭で考えている思考も、
悲しみに打ち震える感情も、
怒りに任せて破壊した物も、
隣にいる他人も、
起こった出来事も、
形のあるもの、無いもの、
すべては、
ワンネスの表現でしかない。
私達は、
いつも幸せを求めて、
探求する旅人。
お金持ちになれば幸せになれる、
豪邸に住めば人から認められる、
ブランド品で身を固めれば、
人から一目置かれる、
どんどん探求して、
結局得られるのは、
一時的な気分の高揚だけ。
どんなに探求しても、
その探求は終わらない。
物質への執着が終わると、
今度は、
スピリチュアルな探求に移行する人がいる。
煩悩をなくす、
とか、
執着を捨てる、
とか、
他人を裁かない、
とか、
いろんなことにトライして、
悟りを得ようとする。
しかし、
本当に悟れる人はいない。
ほんの一瞬だけ、
ミラクルな瞬間がやってくる時がある。
神秘体験は、
時に、人を傲慢にする。
「私は悟りを開いた」
などと言って、
教祖のような存在になってしまう。
そんな人は、
悟ったような気になっているだけだ。
人間が神に近づこうとして、
悟ったりすると、
ロクなことにならない。
すべては、
ワンネスの表現だから、
どんなことも、
自分でコントロールできることなどない。
大酒のみで暴言を吐きまくる夫、
ギャンブルで家庭を破壊する家族、
大麻を買いまくるドラ息子、
何も変わりはしない。
本人が反省して、
変わりたい、
と思っても、思わなくても、
すべては変わらない。
家庭は崩壊し、
夫婦は離婚する。
家庭に限らず、
職場でも、
学校でも、
人間が「不幸」と呼んでいる事は、
日常的に、
いたるところで起こる。
「不幸」だと人間が定義した事すら、
ワンネスから発生している。
信じられないだろうが、
起こっているすべてのことが、
神の愛の表現。
しかし
信じられなくてもいい。
人間は、
居心地のよいところを好み、
自分を大切にしてくれないところを忌み嫌う。
そのように設計されているのだから、
仕方ない。
じゃあ、
不幸を回避するために、
私達は何をしたらいいのか?
残念ながら、
不幸は回避できない。
起こってくることは、
起こるのだ。
降りかかってくるものは、
否応なしに降りかかる。
じゃあ、
何もできないのか?
ひとつだけできることがあるとしたら、
それは、
待つこと。
他人も自分も環境も変えられない。
変えようと思うから、
そこに「不幸」と定義された現象が起こる。
私達は、
何かをしようと思わなくてもよい。
何かを達成しようと思わなくてもよい。
何かになろうと思わなくてもよい。
何らかの技術をゲットしようと思わなくてもよい。
逆に、
何かをしようと思っても、
全然かまわない。
何が言いたいかというと、
何かをしよう、と思っている自分も、
何もしなくてもよい、と思っている自分も、
すべては、
ワンネスのプログラムのままに、
進行しているということだ。
この世の出来事も、物も、人も、考え方も、
すべては変化する。
待つことが全てである。
待っている間に、
努力しても、
さぼっていても、
かまわない。
私達は、
野原に咲いた花のように、
風に揺られて、
自然のままに生きている、
と思うと、
とても気楽ではないか?
そう、
この気楽さこそが、
幸せのエキスかもしれない。
かくかくしかじかでなければならない、
という枠を超えるのだ。
鳥かごの中の鳥を見ていて、
思う事がある。
この鳥のほうが、
私よりも、
はるかに自由なのかもしれない。
すべては逆で、
鳥じゃなくて、
私のほうが檻の中に
いるのかもしれない。
すべてはノンデュアリティー。

2019年12月某日 広島市 縮景園

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