続3・神様からのメッセージ

存在するすべては、
一枚の絵に似ている。
山があって、
緑があって、
雲の切れ間から
太陽の光が差している。
地面には、
車に引かれたカエルの死骸。
内蔵が飛び散り、
無残な姿のまま、
誰に弔われることもない。
膨大な絵の中には、
不快な色も、
心地よい色も、
それぞれの特徴として
使われている。
すでに絵になった絵の具は、
太陽になり、
雲になり、
カエルの死骸になった。
死骸になった絵の具は、
きれいな花になりたい、
とか、
太陽に描きなおしてほしい、
とは言わない。
そのままの姿で、
そこに存在している。
あるがままに、
そのままに、
今この瞬間に、
そこにある。
それだけが、
疑いようのない事実だ。
ヨシコさんは、
マリコさんにはなれない。
真似はできても、
そっくりに変化することはできない。
起こってくる出来事も同様。
そのように起こっただけ。
それ以外のことは、
何ひとつとして起こりようがない。
私達は、
選択を繰り返し、
物凄い努力を続け、
最善の方法を探そうとして、
悪戦苦闘する。
もっと、
善くなりたい、
楽になりたい、
と頑張る。
頑張りぬいた先に見えるものは、
無限に広がる、
生命エネルギーのみ。
求めていた結果は、
そこにはない。
それでも、
人は、
頑張り続ける。
本当のやすらぎが得られないのに、
なぜ頑張るのか?
それは、
よりよい世界を求めて、
努力するのが、
生命の特徴だからだ。
しかし、
楽と苦は、
セットで存在する。
楽だけを求めることも、
苦から逃げ出す事も、
やめて、
絵に描かれた自分のポジションに
徹してみよう。
どんなことがあっても、
逃げ出さないで、
すべてを受け入れみよう。
すると、
海に沈みかけていた、
自分の体が、
頭だけ、
フッと水面の上に出る。
思いっきり息を吸ってみる。
本当の楽とは、
こんなものかもしれない。
すべてを受け入れたときに、
与えられるのかもしれない。
ノンデュアリティーが、
私達に語り掛けている。
この世界は、
幻想に過ぎない。
深刻になる必要のあるものは、
何ひとつない。

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